NHKのラジオ番組で、
福祉活動をしている人と電話がつながっていた。
なかなかできない仕事であるように思えた。
電話の主は、
「子どもたちに神さまを知ってもらおうと……」と
クリスチャンらしい証詞をまじえ、
その活動をはきはきと説明していた。
スタジオの女性アナウンサーは、それに対してどうしたか。
話題をすぐさま、
その子どもたちの反応やその他、
信仰とは関係のない方向に転換すべく相づちを打つのであった。
電話の人も、それに従えば、
話す事柄がだんだん「神さま」から離れていく。
それに気づいたのか、もう一度、「神さま」を持ち出す言い方をした。
しかし、アナウンサーはプロであった。
全くその宗教に関する部分には触れようともしないで、
また一般的な事柄のほうにうまく流していくのだった。
ついに、最後まで、その宗教的なことをそれ以上言わせまいとし、
アナウンサー自身、一言も触れることがなかった。
NHKとしては、
特定の商品名を挙げてはいけないのと同様、
特定の宗教を話題にしてはいけないのだろうと思う。
それを善く言うにしろ、悪く言うにしろ、
公共性を欠くということになるのだろう。
できるだけ、触らないほうが無難なのは間違いない。
もとより、最初から
寺の取材であったり、教会の取材であったりすると、
また別である。
それはその場合の取材対象である。
宗教に関する話題がすべてタブーなのではないはずだ。
クリスチャンであること、
神さまを伝えようとする心があること、
それらを口にすることが、
クリスチャンのある意味で義務であるのかもしれないが、
あのラジオのインタビュー電話の場面では、
どうにもそれが浮いているように聞こえてならなかった。
ちょっと自分の言いたいこと本位に走っていた感じが、ないでもなかった。
この世での知恵というのは、
なかなか難しいところがあるものだろう。
福祉活動をしている人と電話がつながっていた。
なかなかできない仕事であるように思えた。
電話の主は、
「子どもたちに神さまを知ってもらおうと……」と
クリスチャンらしい証詞をまじえ、
その活動をはきはきと説明していた。
スタジオの女性アナウンサーは、それに対してどうしたか。
話題をすぐさま、
その子どもたちの反応やその他、
信仰とは関係のない方向に転換すべく相づちを打つのであった。
電話の人も、それに従えば、
話す事柄がだんだん「神さま」から離れていく。
それに気づいたのか、もう一度、「神さま」を持ち出す言い方をした。
しかし、アナウンサーはプロであった。
全くその宗教に関する部分には触れようともしないで、
また一般的な事柄のほうにうまく流していくのだった。
ついに、最後まで、その宗教的なことをそれ以上言わせまいとし、
アナウンサー自身、一言も触れることがなかった。
NHKとしては、
特定の商品名を挙げてはいけないのと同様、
特定の宗教を話題にしてはいけないのだろうと思う。
それを善く言うにしろ、悪く言うにしろ、
公共性を欠くということになるのだろう。
できるだけ、触らないほうが無難なのは間違いない。
もとより、最初から
寺の取材であったり、教会の取材であったりすると、
また別である。
それはその場合の取材対象である。
宗教に関する話題がすべてタブーなのではないはずだ。
クリスチャンであること、
神さまを伝えようとする心があること、
それらを口にすることが、
クリスチャンのある意味で義務であるのかもしれないが、
あのラジオのインタビュー電話の場面では、
どうにもそれが浮いているように聞こえてならなかった。
ちょっと自分の言いたいこと本位に走っていた感じが、ないでもなかった。
この世での知恵というのは、
なかなか難しいところがあるものだろう。