サイトを見てのメールは、それほど届くわけではない。
だから、一日に2通来ると、珍しいと思う。

作家の三浦綾子さんは、晩年は自ら筆記する自由も奪われていたが、
代筆を頼んでも、
ファンレターには丁寧にお答えしていたそうである。

私なんぞはたかが知れているが、
三浦さんほどとなれば、実に多くの、
それも深刻な相談が押し寄せてきたことであろう。
それらに真摯に応えていくというのは、
それだけで時間の全てが、体力の全てが奪われてしまうほどの
労力であったことだろうと推測する。

なかなかできないことだ。

プロスポーツ選手でも、ファンのサインに応えるということがある。
近年プロ野球でも、一種の危機感もあるだろうが、
このファンサービスを大きく捉えるようになった。

たしかに、ファンの「わがまま」に付き合うのは、
スポーツなり芸能なり、その本分に大きく影響する。
ファンにはひとつの握手でも、
当人にはその千倍の握手が課せられるのである。

それでも、そのファンのゆえに、
多くの時間と労力を割いてくれるというのは、
本当に愛がなければできないことだ。

神さまも、私たち人間が無数のところから祈るとき、
そのファンを愛するために、応えてくださっている。
神さまは人間とは違うから、遠慮はいらない。
神にできないことはないのだ。
大胆に、「わがまま」なファンになってよい。