朝青龍は、相撲協会を支える最高位に就いている。
たしかに、強い。
それで横綱に推しておきながら、
心が、心が、とぶつぶつ呟くのもどうかと見える。
その場合の「心」とは、
自分の意思をもたない良い子ちゃんであるようにも理解できる。

なにぶん、まだ26歳である。
相撲選手もまた、他のスポーツ選手と同様、ピークが若いほうに傾くとすれば、
その若さの中で、老成した者にならねばならない場合もあるとはいえ、
やはり、まだ26歳である。
彼のわがままをこれまで咎めなかったということで、
相撲協会もまた、何らかの罰を引き受けるのが公平だろう。

そして、相撲人気の点で、
その罰をもう受けているのかもしれない。

相撲もそうだし、古い寺社やなんとか巡礼を
我が町の観光のメインにしかおけない地方都市など、
はたして今後どうなるのかという懸念もある。

京都も、若向けのアイテムやキャラクターグッズを使わないと
成り立っていかない街なのである。

伊吹文明文部科学相までが、
横綱の品格とかなんとかいうことに要求をつきつけていた。
「日本の伝統的な文化である相撲は公益性のあるものだ。
 横綱はそれを構成している現役の最高位の人だから
 自覚してもらわないといかん」
これ、政治家たち、つまり自分や、総理大臣に
つきつけてもらいたい言葉でもあると思うのは、私だけではないだろう。

こうして、各種のプロは、
もはやプロではなくなってゆく。
私は、アマチュアのような新人の中に、
輝く素質を見ることがある。
結局、「人」なのかもしれない。
プロの仕事ができる人か、そうでないか。
そのためには、単純な聖域など、ないのであろう。