小麦の大幅な値上げが懸念されている。
米も依然として重要ではあるが、
小麦が食生活に実に多く入り込んできたことが
改めて明らかになった。

バイオ燃料騒ぎの煽りを受けてのことだという。
金になることのためなら何でもするという人間の性質の上に
経済という名の金銭活動が成立しているらしい。
経済の神さまなどと呼んだ人もいたが、
それは人間の欲のなすことであったと言っても過言ではない。

経済というのは、元来
「家のきまり」という程度の意味であったはずだ。
神の家できりもりすること、のような感覚で用いられもするため、
執事の仕事がこれに喩えられることがあるが、
そもそもは神が世界を取り扱うところから概念が定まっていく。
神の計画であり、経綸とも呼ばれる。
スケールの大きな言葉である。

儲かりたいという思いが原理となるようなものが、
経済ではなかったはずなのだ。

だが、綺麗事を言うつもりもない。
金は社会で生きるために必要である。
しかしまた、金で何でも買えるなどとは思わない。
そしてこの日本は、
なんだかんだ言っても、たいへん贅沢ができる国だと思う。

年が明けてから、
小麦を使う製品の価格がやはり変わってきている。
四月からはさらに厳しい状況になることだろう。
今の段階では、業者はよく低価格で出してくれるものだと驚くほどだ。

ガソリンや灯油の価格は政策論争の種にもなっている。
灯油は、死活問題で急がれていたはずなのに、
どうなったことだろうか。
ここ数日、九州でも冷えたが、
極寒の地では、零下10度までは暖房をつけまいと誓う
老夫婦がいたりする。

経済と人が呼んでいる事柄が、
弱い立場の人を追いつめるために働くのであれば、
なんとも罪なことだと感じる。
神は、弱い者を助けることをつねに宣言している。
神の経済とは、そういう原理であった。

波に揺られるままのこの世界での舵を取るのは難しいが、
今一度初心に返ることが求められてもいいかと思う。