先日、子どもの名前の報道があった。
「親の願いくっきり、でも…人気の名前は難読ぞろい」
というのは、讀賣新聞の見出しである。

親の願いが、子どもの名に載せられる。
それは親からの祝福でもある。
名前というものは、親が自由につけるものである。
人間は、自分で自分に名をつけることはしない。
それは、「名のる」とは言う。
しかし、名のったものは、自分の本質そのものではない。
名前が本質を示すというのは、親がつけた名前である。

京都で教えていた子どもの名に、
「ゆみ」という女の子がいた。
耳で聞くとありふれた名前のようだが、
漢字で書くと「結実」といった。

「実を結ぶ」と書いている。
クリスチャンのご両親なのだろう。
女の子の名前としては、響きもいいし、
押しつけがましくない福音が感じられる。

漢字で付けるのが一般的である以上、
「画数」という妙な占いがはびこっているが、
画数よりも、その漢字の元来の意味や由来などを、
もう少し配慮すればよかろうに、と感じることがある。

なにも「悪魔」という名をつけるべきではない、と
言っているわけではない。
子どもへの祝福である。
漢字のもつ意味も、祝福に与りたいではないか。