日曜日の未明二時前に、
京都市内で、
女子中学生が刃物を手に暴れていたそうだ。

携帯サイトに、河原町か京都駅かで人を殺す、と
書き込みをしていたらしい。

たんなる脅しで書き込みをしていたこれまでの場合と異なり、
この14歳は実際に刃物で人に怪我をさせている。

被害者にはお気の毒だが、
怪我程度で済んだのは最悪の事態ではなかったと聞こえる。

あまり全国的には大きなニュースになっていないが、
それはそれでよいのかもしれない。

この事件、実は私が京都で暮らしていた場所のすぐ近くである。
よく知っている道である。
狭い狭い道である。
丑三つ時に人がうろつくのだろうかという気もするが、
駅も近いし、店もまだ開いているのだろう。
私がその地を去るころには生まれていた子であるから、
もしかするとどこかで出会っていたかもしれないと思うと、
他人事のような気がしない。

女子中学生の供述が新聞に短く掲載されている。
「人を傷付けたら世の中が変わると思った」

これでは何のことか分からないが、
この場合「人」「世の中」が近い範疇に入ると見てよいだろう。

えてして、人は、
自分が変わる、とはあまり考えていない。
だのに事実上、自分は変えられている。
意図しないところで、マスメディアや世論に操られている。

聖書では、サタンが入る、という表現があるが、
日本語でもまさに「魔がさす」という。
それは、自分が何者かに操られてしまうことがあることを
うまく物語っている。

教会では、
自分を変えてくださるように、神に祈ることを教わる。
これはまた、上のこととは全く違うことなのである。