いわゆる「列福式」のために
長崎からいろいろな動きが伝わってくる。
会場準備だけでもなかなか大変だ。
なにしろ数万人が訪れるのだという。
カトリックの公式行事である。
教皇自身ではなく、教皇代理が来ると聞いている。
それにしても、大きなイベントではある。
日本における迫害は
表向き、そして陰においても、
執拗に、残虐に続けられた。
西洋においてはキリスト教会が、
魔女狩りなど、陰惨な歴史を背負っている。
ユダヤ人迫害を行い、また止められなかったことでも、
大きな責めを負うてしかるべきである。
科学者に対する、不条理な圧力もまた、
教皇側で謝罪を示すということで
時代の動きを感じさせている。
だが、日本人は水に流すのが好きである。
自分や祖先が悪事を為したということは、忘れたいのである。
そればかりか、それをなかったことに公式にしてしまいたい。
前空幕長論文問題にも、それが現れている。
それが事実であれどうであれ、あの頑固さは、
空気が読めないという程度のものではないだろう。
その言論性だとか処罰の是非だとかも大切だが、
あの顛末には、
あの世代のおじさんのもつ、奇妙な頑固さが感じられてならない。
要するに、思い込みが激しいのである。
それはともかく、
キリシタンを迫害した行為について、
反省や謝罪の空気を、私は感じたことがない。
それどころか、
やっぱりキリシタンのほうが悪いのだという理解を
正当化しようとさえしている面が見られる。
なにせ、当時の法律違反なのであるから、
殺されても当然なのである、と。
もしそういう理由で正当化されるのならば、
歴史上の殆ど全ての行為は正当化されることだろう。
私たちは、歴史から学ぶことは、何もないということになる。
この「列福式」は、
迫害されて耐えて立派だ、と称えるための行事なのだろうか。
なぜ「列福」されるのだろうか。
誰が、その残虐なことを行ったのだろうか。
日本人よ。
あなたである。
これは、前空幕長も否定することができない。
『もし先祖の時代に生きていても、
預言者の血を流す側にはつかなかったであろう』
などと言う。
こうして、自分が預言者を殺した者たちの子孫であることを、
自ら証明している。(マタイ23:31)
それとも、
そんな歴史など、見ずに流してしまうのだろうか。
長崎からいろいろな動きが伝わってくる。
会場準備だけでもなかなか大変だ。
なにしろ数万人が訪れるのだという。
カトリックの公式行事である。
教皇自身ではなく、教皇代理が来ると聞いている。
それにしても、大きなイベントではある。
日本における迫害は
表向き、そして陰においても、
執拗に、残虐に続けられた。
西洋においてはキリスト教会が、
魔女狩りなど、陰惨な歴史を背負っている。
ユダヤ人迫害を行い、また止められなかったことでも、
大きな責めを負うてしかるべきである。
科学者に対する、不条理な圧力もまた、
教皇側で謝罪を示すということで
時代の動きを感じさせている。
だが、日本人は水に流すのが好きである。
自分や祖先が悪事を為したということは、忘れたいのである。
そればかりか、それをなかったことに公式にしてしまいたい。
前空幕長論文問題にも、それが現れている。
それが事実であれどうであれ、あの頑固さは、
空気が読めないという程度のものではないだろう。
その言論性だとか処罰の是非だとかも大切だが、
あの顛末には、
あの世代のおじさんのもつ、奇妙な頑固さが感じられてならない。
要するに、思い込みが激しいのである。
それはともかく、
キリシタンを迫害した行為について、
反省や謝罪の空気を、私は感じたことがない。
それどころか、
やっぱりキリシタンのほうが悪いのだという理解を
正当化しようとさえしている面が見られる。
なにせ、当時の法律違反なのであるから、
殺されても当然なのである、と。
もしそういう理由で正当化されるのならば、
歴史上の殆ど全ての行為は正当化されることだろう。
私たちは、歴史から学ぶことは、何もないということになる。
この「列福式」は、
迫害されて耐えて立派だ、と称えるための行事なのだろうか。
なぜ「列福」されるのだろうか。
誰が、その残虐なことを行ったのだろうか。
日本人よ。
あなたである。
これは、前空幕長も否定することができない。
『もし先祖の時代に生きていても、
預言者の血を流す側にはつかなかったであろう』
などと言う。
こうして、自分が預言者を殺した者たちの子孫であることを、
自ら証明している。(マタイ23:31)
それとも、
そんな歴史など、見ずに流してしまうのだろうか。