クリスマスに贈り物をするのは、当たり前のように言われる。
元は、神が私たちに独り子を贈ったイメージによると思われる。

神が私たちを愛したように、
私たちも、互いに愛し合うことが望まれている。
困った人をなんとか助ける運動ができないか。

イギリスでは、かつて、ボクシング・デーという習慣があった。
クリスマスの時期に、ボックスに寄付を集めるのである。
どうやら最近ではないようだ。
しかし、援助の手を差し伸べるという精神は、
たぶん生きている。
この世界不況の中、自分も辛い立場にあるのは確かだろうが、
それ以上に苦しい人を思いやるというハートは、きっとあるだろう。

ここ日本でも、
寒空に枕するところを奪われるような羽目になる人がたくさんいる。
会社という組織の命をつなぐために、
細胞たる個人は切られてしまうのだ。
職安(ハローワーク?)も一杯だし、
いのちの電話もつながりづらいなどと聞く。

クリスマスにもらったプレゼントについて
[百年の恋も即冷めるプレゼント]実例集
なんぞという特集を、週刊誌がしているという。
KYなプレゼントを笑い飛ばすのだ。

子どもたちに、プレゼントが贈られるが、
もらったものが気に入らない、というふうに
不機嫌な顔をする子が絶えない。
日頃から、もらいすぎている。
欲しいものがすぐに与えられる。
そこへ、贈った人の真心を思いやる心は育まれていない。

贈り物は、もらったときの笑顔を思い浮かべながら、
時間をかけて、選ぶものだ。
たしかに、自分本位で考えてしまうことが、あるかもしれない。
だが、それにしても、
どうしてこんなふうになってしまったのだろう。

歳暮や中元の贈り物がだいぶ廃れてきたとはいえ、
儀礼的なバレンタインデーなどは華やかであるし、
クリスマスについても、やっぱり儀礼のようになっている。
だから、義理の歳暮を質屋へ回すなどのような
時折見られた風景が、クリスマスについても行われていても
たしかに不思議はないだろう。

だが、それにしても……。