エキスポランドでのジェットコースターの事故は、衝撃的だった。
一昨日、子どもをジェットコースターに乗せたことが、思い返された。
エキスポランド自体に行ったことがあるのも、
震えにつながったことであった。

私は、ジェットコースターに好んで乗る者ではない。
なんで怖い目に遭うのにお金を払うのだ、という論理である。
それは様々な考え方がほかにあることを理解しない言葉ではないつもりだ。

スリルなどという言葉を使うのは、
実は安全が保証されている次元においてのみである。
事故を目撃した人は、もう二度とジェットコースターには乗らない、と言っている。
本当に乗らないかどうかはともかくとして、トラウマになることは間違いない。
このとき、もはやスリルという言葉は使えなくなっている。

安全であるという信頼が裏切られたとき、人は怒る。
日本オーチスのエレベータの事故も、
点検していないのにしていると偽っていた点に、人々は怒っているのだ。
なにも、ドアが開かなくなったことがあったというだけで怒り続ける人は、そういない。
今回の吹田のエキスポランドの風神雷神という乗り物についても、
点検の時期について、どうやら偽りがあったようである。
ただの偶発的な事故でなくなるがゆえに、
これには人々は怒りを示すことだろう。

雪印にしろ不二家にしろ、伝統あるメーカーを窮地に追い込んだのは、
嘘をついていたということだろう。

そして私たちは、手近なスリルを味わうことを、
ただの娯楽だとは思えなくなったほうがむしろよいのかもしれない、と思う。
それよりも、命を懸けるくらいの覚悟がなければ、
その楽しみを諦めたほうが、まさに身のためである。