オバマ・マケイン両氏、教会主催の集会で「不道徳」告白合戦

などと見出しがあるから、
なんだ、と思って覗いてみた。
読売新聞である。

メガチャーチ主催の集会で、
自らの罪――新聞では「不道徳」――を語ったのだという。
英文のほうでは、どうやら「モラルでの失敗」のような感じである。
不道徳なら不道徳でもよい。
あからさまに他人が「罪」と決める必要はないのであろう。

キリスト教的意見を述べることには、
アメリカでは、
そしてこの大統領選では、
ひどく勇気の要ることであろう。

それにより、
何千万人という人が
味方につくか、敵につくか、が決まるのだ。

自分の信仰のことはふだん殆ど言わないくせに、
ここで保守的な意見を述べることで、
一定の信者層を得ようとしているふうにも見えた。
もちろん、本当にそうなのかどうか、それは分からない。

自らの罪と対峙して、
それを超えたからこそ、
ペトロという存在があったのだ、と解釈する向きは多い。
その点、
パウロはさらに顕著である。

昨日の礼拝では、
いつもの牧師ではない方が語ったが、
パウロが自分を「罪人のかしら」だと認識していたことを強調していた。

自分は罪人だというところを離れることがないゆえに、
福音というものがある。
それなしで福音、福音と
軽々しく口にするのは、なんともおこがましい。

政治的ポーズで口にするならば、
なおさらではある。