いじめ。
陰湿な言葉である。
だが、その定義がはっきりしない。
たとえば学校管理者たちは、いじめの存在を、
限りなく小さくしかとらない。
責任をとりたくないからだ。
だが、確実に彼らが、傷口を大きくしている。
いじめている側も、
いじめの存在を意識することが少ない。
とすれば、管理者たちは、いじめている側にいる、
そう考えるほうが自然である。
そのくらい、いじめは根が深い。
なにしろ、閉鎖的な社会では、
誰かが力関係において優位に立ち、その力がその社会全体を支配するのだ。
小さなファシズムである。
考えてみれば、校長とか教頭とかが優位に立って
独裁をしている――職員会議には決定権というものがない――わけで、
閉ざされた社会である学校というものは、
まさにいじめの構造そのものができている場所である。
実は、骨折放置と虚偽放置で危機管理能力のなさを露呈した
こちらの中学校でも、いじめが起こっていた。
そして、危機管理能力のなさそのものを今回も見せつけている。
いや、まだ隠している。
プライバシーもあるので、これ以上はここでは言及しない。
私はそのいじめと無関係な立場ではないので、
実はものすごく危惧している。
17日にも、福岡県内で中学生が複数自殺している。
人の命がかかっているのだ。
こちらの中学校が、そのようなニュースに出てきて欲しくない。
私は急がなければならない。
こうして、私は中学校に、
あくまで一般論として、いじめ対策はどうなっているか公表しろと迫った。
今日、担任から生徒全員へ電話がかけられた。
何か変わったことはありませんか。
何もしないよりはましかもしれないが、
どだい、いじめを先生に相談しようなどとする子は、希有である。
所詮、事務的に過ぎないと思う。
「ちゃんと対策をとりましたよ」と言いたいがために。
なぜかというと、そのいじめられた子を、
邪険に扱ったからだ。
そして、そのご両親は、怒りの抗議をしているにも拘わらず、
いじめ問題が起こっているなどの情報は、
そのクラスの他のどの保護者にも知らされていない。
子どもたちの間でそのことを話し合ったわけでもない。
この程度なのだ。
陰湿な言葉である。
だが、その定義がはっきりしない。
たとえば学校管理者たちは、いじめの存在を、
限りなく小さくしかとらない。
責任をとりたくないからだ。
だが、確実に彼らが、傷口を大きくしている。
いじめている側も、
いじめの存在を意識することが少ない。
とすれば、管理者たちは、いじめている側にいる、
そう考えるほうが自然である。
そのくらい、いじめは根が深い。
なにしろ、閉鎖的な社会では、
誰かが力関係において優位に立ち、その力がその社会全体を支配するのだ。
小さなファシズムである。
考えてみれば、校長とか教頭とかが優位に立って
独裁をしている――職員会議には決定権というものがない――わけで、
閉ざされた社会である学校というものは、
まさにいじめの構造そのものができている場所である。
実は、骨折放置と虚偽放置で危機管理能力のなさを露呈した
こちらの中学校でも、いじめが起こっていた。
そして、危機管理能力のなさそのものを今回も見せつけている。
いや、まだ隠している。
プライバシーもあるので、これ以上はここでは言及しない。
私はそのいじめと無関係な立場ではないので、
実はものすごく危惧している。
17日にも、福岡県内で中学生が複数自殺している。
人の命がかかっているのだ。
こちらの中学校が、そのようなニュースに出てきて欲しくない。
私は急がなければならない。
こうして、私は中学校に、
あくまで一般論として、いじめ対策はどうなっているか公表しろと迫った。
今日、担任から生徒全員へ電話がかけられた。
何か変わったことはありませんか。
何もしないよりはましかもしれないが、
どだい、いじめを先生に相談しようなどとする子は、希有である。
所詮、事務的に過ぎないと思う。
「ちゃんと対策をとりましたよ」と言いたいがために。
なぜかというと、そのいじめられた子を、
邪険に扱ったからだ。
そして、そのご両親は、怒りの抗議をしているにも拘わらず、
いじめ問題が起こっているなどの情報は、
そのクラスの他のどの保護者にも知らされていない。
子どもたちの間でそのことを話し合ったわけでもない。
この程度なのだ。