受け取り方というのは、面白い。
選挙でノーを突きつけられた首相が、
自分は期待されているので最後までやり抜く、と宣言し、
周囲の人もそれでよいということにした。

民主主義における選挙とは、
民意の反映であったはず。
だからこそ、衆議院は解散という、金のよけいにかかる制度を採用した。

民意がよいとは限らない。
プラトンは、愚衆政治を指摘した。
私も、安易な民意は危険だと思う。

が、民主主義というルールを、私たちは受け容れた。
選挙の結果がノーであるならば、
それは人々が期待などしていない、という宣告であるはずだ。

しかし、それはどこかですり替えられ、
自分は期待されているのだという論理を通そうとする。
日本の伝統を重んじて広めようとしている方々が、
どうしてこのような状況で、潔さという伝統文化を押し隠すのだろうか。

政治の中での出来事として記したが、
もちろん、そこだけに限らない。
このような奇妙な論理は、あちこちに存在する。

責任感のある人とない人というのは、
このような態度によって、周りが決めるものなのだと思う。