一時、男女の違いはむしろ後天的で、
環境によりつくられていくものだ、という考えが
強く語られることがあった。
正確かどうか分からないが、
やはりボーヴォワールの『第二の性』の影響が大きいのではないか。

最近、男女の脳差が強く言われるようになっている。
脳の構造が違うから、違うのは当たり前だ、と。

おそらく、これら二つの考えは、
100対0という割合で真偽が決められるものではないだろう。
前者だけが真実だと言うのに無理があるように、
後者だけが真実だと言うのにも、無理がある。

男女はたしかに違う。
しかし、「このように違うのだ」と
一律に決めつけるものでもないだろう。
どうも、決めつけるのは、
人間機械論の好きな方や、
人間が何かプログラムにより行動原理が決定している、と
心のどこかで確信している人が強調する様子ではないか、と見える。

そもそも、脳科学というもの自体が、
きわめて怪しいものである。
一定の実験結果から結論づける内容は、しばしば、
その人の人間観が反映されているからである。
逆に言えば、その人の人間観次第で、
どの実験結果も、自在な結論を導くことができるわけで、
はじめに結論ありき、の分野だという疑いを拭えないのだ。

またそれは、
自分が自分自身を規定するのは不可能、という、
不確定性原理の例外だと嘯いているようでもあるし、
哲学者が歴史的に思索しぬいてきた、自我の問題を
いとも簡単に解決した、と豪語しているようでもある。

脳科学は、その活用の仕方によっては、
病気や障害の人に光を投げかけることになるだろう。
あるいはまた、人を騙し利用する危険性をも含んでいる。
また、脳科学によると、の一言で
あらゆる自分の思いつきを正当化することにもなりかねない。

貴重な研究は尊重する。
だが、それを絶対的な根拠として利用することは、
慎重でなければならないし、
それをどう信じるかについても、
よほど慎重でなければならないだろう。