昨日asahi.com のニュースに、朝から思わず微笑んだ。
「がけっぷち猫、助かったけど…母さんにしかられた」というタイトルに、
なんだろうと引き込まれたが、
内容はさらに読ませるものだった。

雨のきつい大分で、増水していた川の護岸に、
子猫がしがみついていた。
これを消防隊員が救助する――というのは、
時折ある光景かもしれない。

救出したのはよいけれど、
この子猫をこれからどうしよう、と案じていたところ、
母猫が茂みから現れたという。

子猫は母猫に駆け寄り、甘えた。
ここで記者の言葉をお借りする。

梅雨の影響で川は増水していただけに、母猫は頭をコツンとぶつけ、「なぜはぐれたの。落ちたら危ないでしょう」とご立腹の様子。しかられた子猫はトボトボと母猫について帰っていった。

掲載された写真が、実によい。
まさに、この言葉の納得できるような情景が撮影されていた。

もとより、母猫の伝えたものは、
そんなことではなかったのかもしれない。
子猫も、疲れてよろよろ歩いていただけではないかとも予想できる。
その心情を、記者は勝手に自分の側に引き寄せて描いているだけではある。

一枚の写真にコメントをつけただけで、
その写真が本当にその内容に見えてしまうというのは、
写真週刊誌で実証済みである。
時にそれは危ない手法となるだろう。

それでもなお、だ。
背筋の凍り付くような、あるいは
怒り心頭に発するような、あるいは
ひどく諦観に包まれるだけのような、
そんな報道記事に囲まれ続ける私たちに、
ほっとするようなニュースだとは言えまいか。

自己本位の正義を実現するためには、
自分たちは窃盗をして正当なのだ、
そんな教義を広めようとしているグループは、
自己流正義のためには殺人も必要なのだ、とする宗教的集団と
どの程度違うのか、私にはよく分からないが、
そうした人々にも、
こんなニュースをあたためるゆとりをもって戴きたいものだと感じた。