地震の被災者を助けようというさまざまな思いもある。

助けようとして、家にある不要品を送ろうとする人もいる。
現地では何が求められているのだろうか。

そこにいる人を、
自分の取材の手柄とするために
――視聴率をとるため、つまり自社の利益とするために――
たんなる対象としてしか見ない報道もある。

マイクが生活の中に置かれることで、
どんなに避難所の人が傷つくか、想像だにできなかった放送局もある。

プライバシーのない生活を強いられて、
精神的に追いつめられるような人も出てくる。
お年寄りが多いところで、
うまく活動できないところもあるのではないだろうか。

避難所に爆弾をしかけたなどという、
卑劣なことをして楽しむ輩も現れた。

原発の事故ゆえに、
もうそこで捕れるものは食べられない、という噂が広がる。

被害が出ている地区の名前を挙げて、
そこには被害がなくてよかった、などと言う議員もいる。
実際被害があったのみならず、
そもそも「よかった」が交わせる状況なのだろうか。

すぐさま、他の原発はどうか、と
自分の足許のチェックに話題を移していくマスコミがある。

もちろん、これは阪神淡路大震災のときにも、そうであった。
震災から一週間後に、もう「もし関東なら」が、
東京の出版社の週刊誌――週間ポスト――でトップ特集記事となっていた。
この冷酷さは、忘れることができない。
これを読みたがった人がいたとしたら、それも同様である。

中越沖地震。
地震は、ほんとうにやるせない。

何もできない人間が、ここにもひとり、いる。