はっとさせられたが、ある本で、「不登校」という言葉に疑問を呈していた。
「不登校」は、「登校拒否」に代わって役所が用いるようになり、
その後報道や書籍でも専らこちらが使われるようになった言葉である。

しかし、「登校拒否」には、
学校に問題があって、それを拒否するという場合もそこに含まれるという。
他方、「不登校」だと、登校するかしないかと言えば、本人の都合でただ登校しないだけ、
つまり学校に責任がない意味がすでに含まれている、というわけである。

文部省ないし文部科学省は、
学校や役所に責任はないことを既成事実とするために、
「不登校」という用語に、なにやら別の尤もらしい理屈をつけて切り換えさせた。
マスコミも世間も、まんまとその流れに乗った……そんなふうに書いてあった。

言葉というのは、軽んじてはならない。
言葉ひとつで、誰もが真の問題点に気づかなくなっていく。

「いじめ」についても、「いじめっ子」という言葉や
「弱い者いじめ」という言葉の欠落を私は指摘した。
言葉が消えるということは、概念が消えるということである。
かくして、思想を操作する者の意図のままに、世の中が迷走していく。

もっと言葉に気づきたい。

不登校に悩む子どもや親に、
それは登校拒否ではないですか、というアドバイスも必要ではないかと思う。
自己責任に悩むとき、
自分を虐待することが始まるかもしれないからだ。