昔、出校日だった。
日教組の動きが何かあったのかもしれない。
子どもたちは、夏休みに1の付く日の出校があったから、
それに加えて、6日もあるころから出てこいということで、
たくさん学校に行くものだなあと思った記憶がある。

原爆投下について述べてそのために大臣の地位を追われたわけだが、
「しょうがない」と九州では口癖のように言うことがある、と
長崎選挙区の久間元防衛大臣が言ったとか。
西日本新聞の長崎出身の記者は、そんなことはない、と吠えていた。

何も政治家の肩を担ぐわけではないが、
私は、「しょうがない」という九州の傾向を感じたことがある。
もちろん、方言として出てくることはない。
ただ、生きる知恵として、自分に「仕方がない」と言い聞かせて、
現実を受け容れることで、
意に添わない現実にも順応していく気力と心構えをつくるようなものだと思う。

もちろん、政治の話としてその言葉を安易に用いた責任は、免れない。
だが、庶民の生きる知恵の中に、
この一見弱気な言葉も、強かに生きるためのものとして
あったことは、否まなくてもよいのではないか、と思った。

それとともに、
今日のこの日の辛さややるせなさ、
それから憤りも、また沸々とわき起こってくる。
この思いは、語り伝え、守り続けてほしいものだと切に願うものである。