塩川恭子氏の文章が先日新聞に掲載されていた。
食品の擬装に関するものであったが、
それは私たち消費者のせいでもある、というのだ。

視点が私に似ていたので読んだ。
食育の運動をしている方だということで、なるほどと思った。

業者が勝手に偽装しているのかというと、そんなことはない。
消費者がそれを支持するからこそ、するのである。
もちろん、中にはたちの悪い業者もあることはある。
だが、消費者の要求がそれを招いているという構造は、
否定するわけにはゆかないだろうと考える。

また、「もったいない」精神が、
ここでは悪い結果をもたらした、とも言えるのではないだろうか。

業者が悪、という報道が続いている中で、
私たちがそれをもたらしたのです、という指摘は
新聞の中に新鮮に輝いていた。

塩川氏は、公明党であるという。
宗教的な視点であると言えるかもしれない。
自分を省みるあたりは、さすが、というところだろうか。

これがクリスチャンだったら、どうか。
たぶん「私たち」とは言わないだろう。
あくまでもそれは「私」のせいだ、と言うだろう。

たんに「私たち」としか言わないとすれば、
「私」の責任はどんどん薄くなっていく。
自分としては、限りなくゼロに近いのである。

クリスチャンと自称する人の中にも、
この「私」の罪という視点をもたない人がいる。
はたして、神はその人をキリストにつく者と認めるのかどうか、
私には分からない。
キリストの救いの中からそれを除けば、
いったいどこで神とつながるというのだろうか。