私たちは、部活をこれまで休んでいなかった息子に、
祖父と祖母のもとに元気な顔を見せてくれという意味で、
福知山へ同行を求めた。
息子は、悩んだ末に、受け容れてくれた。

一年のうち、数日しか訪れることができない。
あと何度こうして里帰りできるのかどうかも、分からない。
息子も、そのことが分かっているから、悩んでいたのだ。

高校の野球部。
公立校でもあり、常勝チームと言えるところでもない。
九州大会へ出場したことも、この十年間、一度もない。
しかし息子は、野球を愛していた。
これまで一日たりとも部活を休んでいなかった。
だから、夏休みのこの盆の時期に
一日しか休みがないというその野球部にいる以上、
思い悩んだのだ。

彼は帰省中も、自分なりのトレーニングを続けていた。

戻ってきて、彼の上に下った罰は、
試合に同行を禁ずる、というものであった。
盆の間も一日しか休んでいない仲間の中に、
たとえ応援でしかないにしても、加えることはできないのだという。
チームが、乱れるのだという。

まるで、見せしめであるかのように。

年老いた祖父や祖母よりも、
盆の間も休みを与えないチームの方を選択しなければ、
罰なのだ。

これは、プロ野球ではない。
進学を掲げる公立高校の野球部である。

昨日、猛暑の中で練習を強いる部活動とは何か、と問うたが、
人の命も、人の心も、
この野球部様は支配するのだと言わんばかりだ。
きっと、それが野球部教というものなのだろう。

息子は、夏休みに人の心を大切にすることを選んだが、
そのために、後味の悪いものを背負うことになった。
この傷は、消えない。

教育者が、それをした。

それが部活の厳しさ?
当然?

息子は、禁じられたことをしたわけでもない。
ルールを守り、許可を得て休んだのだ。

スポーツは、ルールを守っても、
アウトを宣告するのだろうか。

息子は、野球様の奴隷ではない。
その息子の弁当を朝五時から起きて作り、
息子の汚れたユニフォームを夜11時過ぎまで手で洗っているのは、
その祖父と祖母から生まれた母親なのだ。

人を、何だと思っているのだろうか。
それで、会社のために全人生を犠牲にして捧げることを当然と考える人間を
今のうちに洗脳して作りだそうというのだろうか。

高校の野球部の関係者、
答えて戴きたい。


もしも、これが当然という延長に
あの甲子園大会があるというのなら、
私は、甲子園大会を全否定する立場に立とうと思う。
その、非人間的なやり方に。