車のラジオで偶々聞いた。
よく世の中をご存じのベテランのパーソナリティである。
昨日の夜中、緊急地震速報が流された。
実は、私はそれを聞いていた。
NHKラジオから、それは流れた。
予告を聞いて知っていたので、
すぐにそれと認識した。
福岡への影響はないようだったのでまずは安心したが、
南の地域の人々のことが案じられた。
聞けば、これは初めての実用ケースであったとのことだ。
このラジオのパーソナリティは、この地震速報について、
頭からけしからんと叫んでいた。
揺れる前に放送が流れることを目標としているのに、
今回地震の発生より何秒か遅れたことを挙げ、
こんなことに金を使うな、と吠えていた。
しかも、まあまあできたのではないか、という気象庁のコメントに、
何をぬかすか、と息巻いていた。
そして、地震が起きるときに放送などして、
何ができるのか、とバカにしていた。今年の1月の石川県の地震のときには、発表基準の地震だったのに、発表しなかった。それで、今回は結果的に若干基準より弱い地震だったものの、気象庁は発表をした。たとえいくらか遅れたとしても、地震の発生を緊急で放送することに、意味がないわけではない。まず、震央(震源ではない)は少々厳しいが、そこから離れるに従って、地震波が届くのに時間がかかる。震源(震央ではない)から40km離れれば、主要動が届くのに10秒はかかる。放送を流して、火を止めるだけでもできれば、放送に意味がある。何かに隠れて難を逃れることもありうるだろう。地震国日本では、少しでも効果があるならば、やって無意味ということはないのではないだろうか。少なくとも、パーソナリティの方は、そういう可能性を考慮しているようでは全くなかった。ただ遅かったということで、なんだバカヤローという感じだった。同じ番組で、中国の列車事故の知らせが入ってきたときも、私は違和感を覚えた。そのパーソナリティは、「よくこれで60人ほどの犠牲者で済みましたねぇ」と言い切って終わった。福知山線の事故から三年という時を数えた私たちである。60人を超えた犠牲者の報に、悲しまないはずはなかった。日本人が含まれていない模様だという内容とともに、そのパーソナリティからは、人間が亡くなったという感覚が、消えていた。政治的にいろいろ話題に上る中国である。だが、それとは全く関係なしに、一般の乗客が事故で多数亡くなったのである。このパーソナリティは、もし報道で犠牲者がこれより少なく訂正されたとしたら、「よかったですね」とでも言うのだろうか。揚げ足をとるつもりはない。私も勘違いや誤った判断は多い。だから他山の石としながらも、こうした放送の力を不安に覚えた。このラジオを聴いた多くの人が、「そうだ」と思う心を与えられ、自分もそう思ったからそれでいいのだ、と意見を固めていったとしたら、悲しいというよりも、恐ろしいことだと感じたのである。
よく世の中をご存じのベテランのパーソナリティである。
昨日の夜中、緊急地震速報が流された。
実は、私はそれを聞いていた。
NHKラジオから、それは流れた。
予告を聞いて知っていたので、
すぐにそれと認識した。
福岡への影響はないようだったのでまずは安心したが、
南の地域の人々のことが案じられた。
聞けば、これは初めての実用ケースであったとのことだ。
このラジオのパーソナリティは、この地震速報について、
頭からけしからんと叫んでいた。
揺れる前に放送が流れることを目標としているのに、
今回地震の発生より何秒か遅れたことを挙げ、
こんなことに金を使うな、と吠えていた。
しかも、まあまあできたのではないか、という気象庁のコメントに、
何をぬかすか、と息巻いていた。
そして、地震が起きるときに放送などして、
何ができるのか、とバカにしていた。今年の1月の石川県の地震のときには、発表基準の地震だったのに、発表しなかった。それで、今回は結果的に若干基準より弱い地震だったものの、気象庁は発表をした。たとえいくらか遅れたとしても、地震の発生を緊急で放送することに、意味がないわけではない。まず、震央(震源ではない)は少々厳しいが、そこから離れるに従って、地震波が届くのに時間がかかる。震源(震央ではない)から40km離れれば、主要動が届くのに10秒はかかる。放送を流して、火を止めるだけでもできれば、放送に意味がある。何かに隠れて難を逃れることもありうるだろう。地震国日本では、少しでも効果があるならば、やって無意味ということはないのではないだろうか。少なくとも、パーソナリティの方は、そういう可能性を考慮しているようでは全くなかった。ただ遅かったということで、なんだバカヤローという感じだった。同じ番組で、中国の列車事故の知らせが入ってきたときも、私は違和感を覚えた。そのパーソナリティは、「よくこれで60人ほどの犠牲者で済みましたねぇ」と言い切って終わった。福知山線の事故から三年という時を数えた私たちである。60人を超えた犠牲者の報に、悲しまないはずはなかった。日本人が含まれていない模様だという内容とともに、そのパーソナリティからは、人間が亡くなったという感覚が、消えていた。政治的にいろいろ話題に上る中国である。だが、それとは全く関係なしに、一般の乗客が事故で多数亡くなったのである。このパーソナリティは、もし報道で犠牲者がこれより少なく訂正されたとしたら、「よかったですね」とでも言うのだろうか。揚げ足をとるつもりはない。私も勘違いや誤った判断は多い。だから他山の石としながらも、こうした放送の力を不安に覚えた。このラジオを聴いた多くの人が、「そうだ」と思う心を与えられ、自分もそう思ったからそれでいいのだ、と意見を固めていったとしたら、悲しいというよりも、恐ろしいことだと感じたのである。