安倍総理大臣が苦境に立たされている。
ご本人が何かをしでかした、というよりも、
部下、つまり閣僚が、非難を浴びたということによる。
それも、一人や二人ではなく、
これでもかというほどに続いている点が大きい。

各大臣は、総理大臣が任命する。
それゆえ、任命責任というものが生じる。
任命された者が失敗をすれば、
任命した者が責任をとらなければならない。

その失敗というのも、
何かあることをやってしまった、というよりも、
どうやらその本質に巣くっているものが非難されるべき、となると、
そもそもそういう素質の者を任命したことは、
なおさら責任問題となってくるのである。

聖書では、失敗をたとえば罪と呼ぶ。
しかし、これは罪の本質ではない。咎と言い表すこともある。
犯罪行為は罪の一種だが、罪のすべてではない。
罪というのは、複数形にはなりえない、本質的な悪であり、根本悪である。
この罪がきよめられてこそ、救いとなる。

政治の世界と、時折類似のことが身近に経験できる。
自分が安倍総理だと、当人は気づくこともないだろうが。