テストなんかできなくても、人柄がよければ――

この言葉自体、嘘ではないと思う。
しかし、懸念されることがあるのだ。
特別難しいことができない、というのと違い、
ごく普通の応答ができない、ということである。

理由は? と訊かれたら、語尾は「~から」と答える。
目的の場合は、「~ため」だろう。

熱分解実験の後火を消す前に注意することは?
「ガラス管を抜く」
そう答える中学生が少なくない。
言いたいことが分からないわけではない。
二酸化炭素の検出に用いた石灰水に差し込まれたガラス管を、
その液体から抜いておかないと、圧力の下がったフラスコ内に
冷たい液体が逆流して、フラスコを割る危険性を回避するのである。
でも、本人はこういう気持ちなのではないか。
「ガラス管を抜く。どんなふうにするかは、この図を見れば分かろうもん」

たとえばこのことをマニュアルに記す仕事が与えられたとする。
消費者に危険を回避する方法を説明するのでする
「ガラス管を抜く」
これで、分かるだろうか。
では、ということで、こんなふうに書く子がいた。
「試験管からガラス管を抜く」
抜くのは、液体から抜けばよいのであって、試験管からでなくともよい。
でないと、目的が分かっていないことになる。

説明が、できないのだ。
そのことに通じていない相手が、それを読んでもひととおり理解できるような、
そんな説明を施すことができないのだ。

こういう能力を欠いていることは、
人柄をも悪いように形成することはないだろうか。

それに、しばしば言及することなのだが、
テストなんかできなくても、と言う者は、
実はたいてい、自らエリートであることが多い。
自分はテストができた人種である。そのためにここまで有名になってきた。
その自分が、テストだけが人生じゃない、と言うことによって、
威張ったエリートというわけでないということで、
人気を得ることができるだろう。

敢えて言うが、他人の質問の意図を理解し、
それに対して自分が思うところを的確に答える。
こうした力の必要性について、疎かであってはならないと思う。
これに疎いのは、偏見や誤解を招く虞が大きいのである。

エリートたちは、人の気持ちを読みとるということが、しばしばできないでいる。
そのことに気がつかないこと自体が、結局、それができないということを示している。