姑息な手段、と聞くと、
なんだか狡いことのように聞こえることがあるが、
言葉の意味はそうではない。

姑息は、「とりあえず」という意味で、
一時凌ぎというふうに使うのが正しい用法である。

また、本来の漢語の世界では、
「姑息の愛」というように、
相手をただ寛容に許すような愛情のことをいう。
たいていは、甘やかす悪い意味で使われる。

子を甘やかすことの愚かさは、
旧約聖書の箴言の中にもたびたび現れる。
だが他方、民主社会では、
リーダーを甘やかすということも、
主権者たる民衆の、姑息の愛となっているのかもしれない。
皮肉なことに、
政治行動はしばしば、一時凌ぎのものとなっており、
まさに姑息なものとなっている。

十年後、百年後を想定した計画というものは、
とくに日本ではぴんとこないようである。
そういう考え方を、元来してこなかったようであることも、
歴史を学ぶと痛感する。