7月5日(火曜日)オグリキャップの第1仔であるオグリワンが繋養先のスエトシ牧場で亡くなりました。


30歳でした。




オグリワンは父オグリキャップ、母ヤマタケダンサー(ナイスダンサー)という血統の牡馬。


地方・笠松競馬場から中央入りし、1988年有馬記念、1989年マイルチャンピオンシップ、1990年安田記念、1990年有馬記念とGⅠ4勝をあげ、一大競馬ブームを巻き起こした名馬オグリキャップの一番最初の産駒として注目を浴びました。


1994年にデビューしたオグリワンは同年のGⅢ小倉3歳(旧表記)ステークス2着、3歳オープン特別・ききょうステークスを優勝、翌年は父が出走出来なかったクラシック競走・GⅠ皐月賞(16着)、GⅠ東京優駿・日本ダービー(17着)に挑戦。


その後は思うような成績があげられず、1996年春から地方・名古屋競馬へ転入、当地では3勝をあげオープンで活躍、2000年にはJRA京都・GⅢアンタレスステークスに出走しました(15着)。


2000年11月からは高知競馬へ転入、当地で2勝をあげ、2001年7月のレースを最後に引退しました。


通算成績は109戦7勝。





自分はオグリキャップのレースをリアルタイムで見た事はありませんでしたが、丁度自分が競馬にハマり出した頃にオグリキャップの産駒達がデビューしました。


小さな地方競馬からデビューし、そこから日本中を熱狂させる存在までにのしあがった事が純粋に凄いと思い、レースを見たくなってレンタルビデオ店でオグリキャップのビデオを借りて何度も巻き戻して見ましたね笑


次第にその子供達を応援したいと思うようになり、オグリワンを初め、アラマサキャップ、アーケエンジェル、ランスルーザターフ、ノーザンキャップなどが活躍していましたが、結局重賞を勝つ産駒は現れませんでした。


実際のオグリキャップの現役時代は見ていなかった分、競馬場で父を思い浮かべ・想像しながら産駒達を見るのが本当に楽しかったですね。




これは、京都競馬場で行われた2000年のGⅢアンタレスステークスに出走した時のオグリワンの写真なんですが、のんびりパドックを歩く可愛いオグリワンの様子は今でも鮮明に覚えています。



オグリキャップの影響で地方競馬に興味を持ち、一番近い地方競馬場の園田に行き始め、オグリキャップがデビューした笠松競馬場にも行きました。


あげくには園田競馬場で厩務員になり、現在は厩務員を離職していますが、今でもオグリキャップは憧れの存在ですし、いつか地方競馬から、またオグリキャップのような日本中を熱狂させる怪物が登場してくれないかと期待しています。


少し話が脱線しましたが、一生を全う出来ない馬が多い中、オグリワンは老衰で亡くなる30歳まで多くの方々から愛され、天寿を全う出来たのは何よりの幸せだったのではないかと思います。





ご冥福をお祈りします。