千鹿谷鉱泉「千鹿谷鉱泉旅館」 | 温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

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人生の事をしみじみ噛み締め出す歳は人それぞれやろが、ワテもそないな歳になったんで記し始めました。過去を顧みると未来が覗けます。
基本、前段が日記で後段に考えを綴っとるんで、後段を読まれ何かしらの“発見”があれば嬉しゅうございます。

昨夜はNっぺと赤坂「B flat」で改装前最後のライブ聴き、歩いて有楽町駅迄行き電車に乗って帰宅したの23時50分。一度も目覚めず今朝は7時半に起きた。

朝食は信州蕎麦を秋田産椎茸と茹でて、卵一つ落として食うた。デザートはフィリピン産バナナ3本。

Nっぺに葉書認めた。

大橋祐子→国分弘子→嶋津健一→小林沙桜里→福井ともみ→鶴野美香→小沢咲希とピアノ演奏をユーチューブで聴いた。

友人にメール送付した。

昼食は浅草「しま正」へ行って、頼んだの海鮮丼。サラダ、おぼろ豆腐、味噌汁が付き1000円也。

満足して店出て、郵便局で金下ろし帰宅。

筋トレ15分後、風呂に小一時間浸り考えとった。覇権主義国に対するリスクを軽視しとる人が多過ぎや。我が国は少なくとも独立性高くしっかり機能する諜報組織を持たなならん。

友人にメール送付した。

 

 

全集本に挟まった若い頃のメモが出て来たんや。が、そこに書かれとるKって誰や?と一瞬考えた。多分、日本の苗字ベスト10に入っとると思われるK姓。メモ書き読んどる内に思い出しましたがな。札所巡りのK君や。誘われる儘に彼がまだ訪れとらん秩父札所の三箇所か四箇所に行ったなあ。まだ全札所巡り終えてないのに転勤指示に従い愛知県へと去ったK君。今どないしとるんやろ?甘いもん好きやったけど糖尿病にならず元気で居るやろか?

ほな、メモ書き写します。

 

81年の初夏の週末、K君と秩父郡吉田町の千鹿谷鉱泉「千鹿谷鉱泉旅館」で風呂に入った。

K君の誘いに乗りハイキングして観音山の中腹にある秩父三十一番札所の観音院に訪れた。彼は札所巡りちゅう渋い趣味を持っとるからな。

K君歩き出した頃は「木綿のハンカチーフ」や「シンデレラ・ハネムーン」を鼻唄まじりで進んどったが、観音院の山門に着く頃はそないな余裕無くなっとって聞こえるのは荒い息のみ。

山門には仁王さんが二体ある。これがまたデカい。4m程もある石の像なんですわ。

山門くぐって急な石段を上がらな本堂へは行けんのやが、この石段結構な数ありまんねん。上がりきった時は息整えなならん。フーフー息漏らしながら上がっとったK君なんか息切らして地面に座り込んどったわ。辿り着いた感ある所なんや。

本堂は崖の窪みの所にある。K君は鐘撞いて鳴らした後、納経所で何やら記念のもん買うとったわ。

一登山した気分の後で、汗流しに日帰り入浴しに行ったんが千鹿谷鉱泉なんですわ。そこでワテの趣味も満たしたんや。

鳥の鳴き声耳にしながら山間のクネクネ道路をトボトボ行ったら一軒宿があった。

「千鹿谷鉱泉旅館」の外観はフツーの家っぽいんやが、中に入るとやはりフツーな家の雰囲気なんや。

でも、宿の婆ちゃんによれば寛政十年に官許によって湯宿を始めたんやて。由緒ありますんや。そして明治時代に武装蜂起しよった秩父困民党が密談した場所がここなんやて。歴史にトンと関心無いK君は秩父の金平糖の話かと思うて聞いたと云う。

そないな所ではあるが、風呂場もまたフツーの家のそれで家族風呂ちゅうもん。桧風呂とか岩風呂ではあらしまへん。

その浴室には誰も居らんかった。
「至って普通だね。湯も無色透明だし」とK君。
「せやな」と応じ、まずは手入れて湯温を確かめよとしたら、トロリしとる。

「適温で、アルカリの湯ですわ。美肌になりまっせ」

「男が美肌になってもなあ」とK君。

入ったK君「凄い、ヌルヌルトロトロ」と驚いとった。
暫く観音院の話しながら二人が丁度ええ面積の湯船に浸っとると、三十路位に見える痩せた男が入って来た。内気なんか、ワテ等が詰めてもう一人が入れるスペースつくたんやけど入る気配無く洗い場に居ってケロリン桶玩んどる。三人では肌触れ合う可能性あるし狭いわな。

「そろそろ上がりまっか」とK君促したがな。

泉質はアルカリ性泉。

浴室出て、「肌がツルツルしとりまっせ」とK君に声掛けたものの、彼は無関心やった。