中山平温泉「東蛇の湯」 | 温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

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人生の事をしみじみ噛み締め出す歳は人それぞれやろが、ワテもそないな歳になったんで記し始めました。過去を顧みると未来が覗けます。
基本、前段が日記で後段に考えを綴っとるんで、後段を読まれ何かしらの“発見”があれば嬉しゅうございます。

一旦1時と4時に目覚め、今朝は7時半に起きた。熱は36.1度と平熱に。土日からしたら体調かなり戻ったが、夏バテなのは変わらず。

ドナルド・バードのアルバム「エレクトリック・バード」をレコードで聴いた。

朝食は北海道産ななつぼしを炊き、くめ納豆、紀州産梅干しで一膳半。デザートは山梨産プラム3個。

上西千波→小橋知枝→萱原恵衣→平野翔子→Ema→中納良恵と歌をユーチューブで聴いた。

昼食に下谷「ビストロ ルミエル」へ行って、プリフィックスランチを頼んだ。今日は魚を選び真鯛のポワレ シェリーヴィネガーソース。とうもろこしのポタージュ、パンが付き1400円也。

満足して店出て、郵便局で金下ろし帰宅。

風呂に小一時間浸り考えとった。デジタル大臣河野太郎がマイナンバーカードの名称変更云うたが、そないな問題とちゃう。不備ある制度をどないするかや。カードを自主返納しとる人も、したからってどうよ?制度どないするかや。

友人達にメール送付した。

ほな、出て来た温泉のメモ書きを写しますわ。

 

 

国民保養温泉地である中山平温泉には二つの宿に泊まっとるが、その一つ「東蛇の湯」に泊まったんは三十代前半の冬。

JR陸羽東線中山平温泉駅から歩いて20分弱で着いた。

川沿いにある木造二階建ての「東蛇の湯」は如何にも湯治場然としとって気分盛り上がる。

玄関の様子も昔ながらの湯治旅館しとりまっせ。入ろうとすると、自動ドアの如く戸が開くやないの。

マフラー首にグルグル巻き長靴履いた小柄な婆ちゃんが立っとった。

「今がら出がけんだー。お客さん?」と、行動を説明された上で問うんですわ。

「そうでっけど」と返すと、「仙台から?」と問う。

「東京からでっけど」と答えると、「泊まりけ?」と問う。

頷くと、「何泊?」と問う。「一泊ですわ」と答えると「そったら短けーねー」云う。

「宿の方でっか?」と尋ねると「湯治だー」との返事。湯治客やった。

「逗留型リゾートでんもんな」云うたら、ポカンとされとりました。

ここ自炊客主体の宿なんや。

帳場にも辺りにも人居らんなとキョロキョロしとると、その婆ちゃんが大声出して宿の人呼んでくれて、チェックインの手続きし、婆ちゃんが外出するのを見送った。

割り当てられた部屋に荷物置き、早速階下にある大浴場へタオル下げて行ったんや。

浴室にはタイルの四角い湯船が中と小二つ。

湯はちょっち黄緑に濁っとってほんのり硫黄臭と金気臭が混じったような臭いした。

混浴なんで湯船や洗い場には三人の爺さんとニ人の婆さんがお喋りしながら居ったわ。

爺さんが一人浸ってる湯船に入ってみると、ちょっちヌルっとする湯が熱いやないの。ワテは入っておられんで、数十秒でザバッと出た。

その様子を見とった洗い場で喋っとる爺さん達にからかわれた。地元言葉なんで意味ははっきり分からんかったが、からかわれたんは分かったわ。その中の肉付きええ爺さんに、今入ってるのは熱い湯好きで、もう少し経つと冷めてええ塩梅の湯加減になるちゅう事を地元言葉雑じり標準語で云われたがな。

熱湯好きの爺さんが上がり、待機しとった爺さん達婆さん達が入り出したんで、ワテも入ったもののまだ熱かった。

泉質は含重曹芒硝硫黄泉。

部屋に戻り、夜が接待続きで書いとらんかった出張報告まとめて書いた。

夕食は部屋に運ばれて来た。家庭料理ぽいもんやった。

食後、またタオル持ちトイレに寄ってスッキリしてから風呂へ。

やはりお喋り好きな爺さん達婆さん達が六人居って話弾んどったが、最初入った時とは顔触れがちゃう。

湯温はどないやろと手入れてみると、確かに適温となっとったんで、今度はフツーに浸れた。

上がった時に肌触ってみたらスベスベやったわ。

部屋に戻って、眠気がやって来る迄布団に潜り埒も無い事考えとった。

久方振りにぐっすり眠って、目が覚めると6時半。

タオル手に朝湯に行ったが、昨日の顔触れで混んどった。

湯の色変わり乳白色ぽかったがな。

素朴な朝食食うて、のんびり食休みして、宿を出たら寒かった。