『髪結い伊三次捕物余話 三省院様御手留』 | 温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

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人生の事をしみじみ噛み締め出す歳は人それぞれやろが、ワテもそないな歳になったんで記し始めました。過去を顧みると未来が覗けます。
基本、前段が日記で後段に考えを綴っとるんで、後段を読まれ何かしらの“発見”があれば嬉しゅうございます。

一旦2時半に目覚め、今朝は6時半に起きた。

マッコイ・タイナーのアルバム「サマ・ラユーカ」をレコードで聴いた。

朝食は北海道産ななつぼしを炊き、くめ納豆と紀州産梅干で二膳食うた。デザートは栃木産トマト。

「趙氏孤児」第35話をギャオで見た。

菊池雅章→南博→高木里代子と、これ迄ライブで聴いとるピア二ストをユーチューブで聴いた。

雨が止んだから台東区散歩に出掛け、郵便局で金下ろしてから、昼食に西浅草「フルール ド サラザン」へ入り、注文したのは黒と白セット。黒ガレットは新メニューの玉子・チーズ・ハム・とろろ昆布を選び、白ガレットは林檎の蜂蜜を選んだ。シードル、りんごのスープが付き1780円也。黄金桃のガレットもちょっちいただき感謝。

満足して店を出て、スーパーに寄って食料買うてたが、内容量減らすセコい値上げが増えとるな。

帰宅し、ぬるい風呂に一時間浸り考えとった。各国が安倍晋三の弔文で外交しとるのを、我が国には理解せぬ人も居って平和ボケや。中国共産党なんぞ己等に都合ええように言い換えとるが、これが外交ちゅうもんで、油断してはならん。平和ボケなのほほん外交ではあかん。

牛乳飲みながら高澤綾→市原ひかり→山崎千裕→日野皓正と、これ迄ライブで聴いとるトランペッターをユーチューブで聴いて行ったんやが、客の中にワテが居るライブを見つける。

夕食はメキシコ産豚肉、茨城産ピーマン、高知産オクラ、長野産ぶなしめじをタジン鍋で蒸し、ご飯と食うた。デザートはグレープフルーツジュース入れたヨーグルト。

 

 

宇江佐真理の連作短編小説シリーズ髪結い伊三次捕物余話「名もなき日々を」から五話目の『三省院様御手留』を読んだ。

三省院様とは、蝦夷松前藩の八代藩主松前資昌の側室鶴子やが、五男三女を儲けた資昌が40歳で亡くなり、剃髪し本所緑町にある下屋敷で夫の菩提を弔う為に般若心経唱えたり松前家ゆかりの者の月命日に墓参する日々なんや。

三省院鶴子が本所の下屋敷を取り仕切っとるが、下谷で呉服商を営む「栄倉屋」の娘やった。

それで、「栄倉屋」は士分に取り立てられ、兄である主は名字帯刀を許され、主の息子は藩の馬廻りに就いとるんや。

本所の下屋敷を執政の村上監物が突然訪れる。彼は鶴子にとって義理の弟に当たる。

村上監物の来意は、上屋敷で御半下に暴力を振るい怪我を負わせた不破刑部と呼ばれとる女中をほとぼりが冷める迄の間預かってくれちゅう頼みや。その藩主の子女の警護をする別式女として奉公に上がった女中は、藩の意向で藩主嫡子である良昌の側室になると云う。

そう、衝動を抑え兼ねた茜は短慮な振る舞いをしたが、追放され実家へ戻される事はなかったんや。留守に手文庫を開け手紙を盗み読みしとった御半下しおりが実家に戻されたと、押し込められた蒲団部屋で聞いた時には自分もと覚悟しとった茜やったが。

追放してもうては、茜を慕う病弱な良昌が悲しみのあまり身体の具合を悪くさせる恐れがあるし、それに妾腹の弟章昌に跡目を継がせたい一派にとって茜は良昌を隠居に追い込む駒やからですわ。

[「いや、それぞれに藩の将来を案ずるゆえでござる」

監物は、またも苦しい言い訳をする。

「そうではありますまい。章昌殿は、お身体は壮健でも、良昌殿ほど英明ではありませぬ。章昌殿が藩主となったあかつきには、あの藤崎は思う存分、藩政を牛耳ることができましょう。そのためには邪魔な良昌殿を早々に隠居に追い込む魂胆をしておるのでしょう。おなごの分際で差し出たことを。して、藤崎にも当然、何らかのお咎めがあったのでしょうね」

「藤崎殿は長局を束ねる人物。咎め立てをすれば、女中達の混乱を招きまする。怪我をした御半下は実家に戻しましたが。三省院様、藤崎殿の勝手にはさせませぬ。それはお誓い致しまする」

「何も咎めがない?それでは、今後も二度、三度と同じことが起こりましょう。監物殿はそれでよろしいのですか。藤崎を増長させるのは藩のためになりませぬ。そこのところを、よく肝に銘じて下されませ。さて、不愉快なお話はこれでお仕舞いに致しましょう」

鶴子は、さっと腰を上げた。監物は縋るように、件の女中のことはお引き受けできませぬか、と訊いた。]

驚きや。藤崎に咎めが無いなんて。執政として村上監物はおそまつと云わざるを得ない。鶴子の云う通り、そんな藤崎の振る舞いに罰を与えぬでは松前藩に衰退の道辿らせる。

ところで、下屋敷の女中達が密かに呼んどる御手留とは、物忘れの兆候を感じるようになった鶴子が書き留めとる備忘録のようなもんや。勿論、そこに何が記されとるか見た者は居らん。

[九月八日、午前四つ刻。

村上監物殿来訪。上屋敷の女中を一人、この下屋敷へ預けたいとのこと。仔細これあり。渋々、承知す。老女〇〇の増長、憎し・・・・]

藤崎の名は敢えて伏せとる。後で人目に触れて大事にならんようにですわ。

村上監物が訪れてから三日後、若衆髷で裃を纏った濃い眉となつめ形の眼が美しい娘が来た。茜や。下屋敷で頭を冷やして、今後をじっくり考えたい茜や。

話は伊与太へ移る。彼は師匠の歌川国直に同行し、本所亀沢町の葛飾北斎の住まいへ。そこで初めて大北斎の仕事を間近に見た。

葛飾北斎、衣服は粗末、口調や仕草には品が見当たらぬ。しかしながら一度絵筆を握れば、そこから無限の世界が紡ぎ出される。

北斎は娘のお栄と二人暮らし。

細身のお栄(葛飾応為)は父によう似た面差しをしとって、お世辞にも美人とは云い難いが、澄んだ声が耳に快い。

伊与太は北斎とお栄に気に入られた。北斎には肉筆画を見せられたが、描く人物の心の内迄分け入り、その人物の普段の暮らし迄想像させるもんやった。お栄にはさり気なく絵師の心構えを教えられた。

高名な浮世絵師の住まいとは思えないあばら家を訪れた帰り、伊与太は回向院傍で黒塗りの輿の先頭に付き添うとる若衆姿の茜を見掛け、声を掛ける。「お嬢、お務めがんばれ。辛いことがあっても辛抱しろ」

その励ましの言葉に、茜は水洟を啜りながら必死で嗚咽を堪えとった。

鶴子は茜の泣いた顔を初めて見た。気丈な娘だと思うとったので、鶴子には驚きやった。茜と若者は身分を超えた親しい間柄と思える。良昌がこれを知ったら何んと思うだろう。鶴子は束の間、不安に駆られた。

[九月十五日。本所回向院にて善光寺の阿弥陀如来像に参拝す。穏やかなるご尊顔にこの胸は熱くなる。ありがたきかな。松前藩のいついつまでも変わらぬ安泰と繁栄を祈願する。帰途、女中某、涙す。若き娘の心の内は妾にも理解できず。かつては妾も若い娘の時代があったものを。]

手作りの冊子にそう書き記した三省院鶴子や。

冊子はもうかなりの数になっとる。今後も気力のある限り、書き続けて行こうと思うとる鶴子や。

この物語、鶴子が藩主資昌の寵愛を半ば独り占めしとったのもよう頷ける好ましいおなごであるのが知れますんや