『イチローのバットがなくなる日』 | 温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

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人生の事をしみじみ噛み締め出す歳は人それぞれやろが、ワテもそないな歳になったんで記し始めました。過去を顧みると未来が覗けます。
基本、前段が日記で後段に考えを綴っとるんで、後段を読まれ何かしらの“発見”があれば嬉しゅうございます。

今朝は7時半に起きて、朝食は鮭の中骨水煮、鯖味噌煮、秋刀魚水煮と缶詰のみ。なかなか風邪が治らず外出億劫になっとって暫く閉じ籠り、もう大地震に備えたもんしか残ってなかったんや。

M夫ちゃんに葉書認めた後、筋トレ30分した。

風呂に小一時間浸り考えとった。訪中しよる安倍晋三に、はったり屋ドナルド・トランプとの貿易交渉に悩む習近平、やはり一帯一路に協力求めるやろ。米国に媚びる安倍晋三やが、迂闊に外交成果を近平に与えてしまわんやろなあ。

70年代を彩ったスティーリー・ダンをユーチューブで聴いた。知的で洗練された楽曲大好きや。ウォルター・ベッカーは亡くなってもうこの世には居らんのやなあとしみじみ思うた。

昼食に蔵前「ビストロ モンペリエ」へ行ったが、何とランチお休みで二週連続で振られてもうた。それで西浅草「鍋茶屋」へ急ぐ。いつものランチうな丼を食うた。1080円也。旨いなあ。

郵便局で金下ろして、スーパー2店舗に寄って食料買うて、帰宅し和歌山産柿食うた。

神宮での暗い魔窟シリーズで虚人に下剋上され、今シーズンの球場通いも終わったわ。日本シリーズに行くつもりやったのに・・・今シーズンの神宮球場での応援は13勝8敗1中止やった。

 

 

今年シアトル・マリナーズ会長付特別補佐となったイチローは、もうすぐ45歳やが引退したとは云うとらん。まだ挑むつもりで居る。

現在、イチローが築き上げた安打数は日米通算4367。偉業である。

この記録は彼の技術だけで成されたもんやなくええバットがあってこそのもんで、彼の愛用するバットに長年使われてきたんのがアオダモちゅう木なんや。

アオダモは材質硬く折れ難く粘りがあるんでしなりを生むバットになるんやて。

ところが、アオダモが絶滅の危機に瀕しとるのワテ等野球ファンで知っとったのどれ程居ったやろ。ちゅうか選手が使うとるバットの材質迄知っとる野球ファンはどれ程居るんか?

ワテ、日本のプロの選手が使うとるバットがアオダモなのは知っとった。

がしかし、それはもう使うとったと過去形なんや。今のバット材の多くはプロでもメイプル製なんやて。

「アオダモ」を巡る渾身のルポルタージュが副題の『イチローのバットがなくなる日』を読んで知った事は少なくない。ノンフィクションライター長谷川晶一の著作や。

野球を愛するもんでなければこんな地味なルポルタージュは書かぬやろ。

アオダモ巡るバットに関わる新冠の製造業者西村孫蔵や本別町の製造業者山内淳一に岐阜の職人久保田五十一、北海道の職人金野健司などの意気込み、矜持の物語なんや。ライトの当たる華やかな舞台には一度たりとも立たぬ縁の下の力持ちを描いとるんや。

イチローならずとも打者が打席に立つ限りバットを手に対戦投手に向かわなならん。そやからええバットが必要や。でも需要と供給、偉大なる打者イチローが日高山系アオダモのバットを欲しても、その木が無くてはどうにもならぬ。

モクセイ科トネリコ属の落葉広葉樹アオダモ。その成長は遅く、バットにするには70年の年月を要するんやて。

しかし、選手の中にはバットをぞんざいに扱う者が居る。久保田五十一は云う。「打てなくて悔しいのはわかりますが、だからといってバットを放り投げたり、折ったりするのは卑怯なことだとは思いませんか。打てなかったのはバットのせいじゃないんです。少し生意気かもしれませんが、バットがあるから野球ができるということを忘れてはいけないと私は思います」

一流選手程バットを大切にするし拘りもする事も書かれとる。2本のバット持ち工場に来て久保田五十一にノギスでグリップ部を計測させた落合博満、鳥肌もんや。

凡な人間程、無くなったり居なくなったりせんとその有り難味を分からぬもんや。

プロでもメイプル材のバット使用になっとるのは、バット業界の採算からなんや。アオダモでは経費が掛かり過ぎ採算に合わんのや。メイプルなら採算ラインで生産出来るんやて。

これ迄、利が極めて薄くても或いは出なくなってもアオダモ製バットつくっとったのはなぜかちゅうと、アオダモを使いたいプロ野球選手が多かったからなんやそうや。日本人やなあ。

ところがそこにはいびつな事がある。宣伝効果を狙っとるアドバイザリー契約や。その矛盾も指摘されとる。

無くなろうとしてるこの樹木を憂えとるだけでは詮無いんで、北海道にアオダモの植樹活動も書かれとる。地球温暖化の影響で苗が良質の木に育つかどうかは分からぬし、育ってもバットになるのは70年先やけど。

久保田五十一は著者に自らが削ったバットをさすりながら次のように云うたんやて。「人間というのは自然の前ではあまりにも無力です。私たち、バットに携わって生活の糧を得る者は、アオダモの恩恵、バットの恩恵を受けているのだということを常に感じている必要があると思います。バットを作るのは私ではありません。自然なんですから」日本人やなあ。

不忍池弁天島や赤坂氷川神社などに包丁供養する包丁塚あるが、果たして感謝を込めて祀ったバット塚ってあるんやろか?

神宮球場に行ったら、植えられとるアオダモに感謝しよ。東京ドームに行ったら、植えられとるアオダモに感謝しよ。