小谷温泉「山田旅館」 | 温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

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人生の事をしみじみ噛み締め出す歳は人それぞれやろが、ワテもそないな歳になったんで記し始めました。過去を顧みると未来が覗けます。
基本、前段が日記で後段に考えを綴っとるんで、後段を読まれ何かしらの“発見”があれば嬉しゅうございます。

ミミさんが現れる夢を久し振りに見た今朝の起床は8時ちょっち前。

風呂に小一時間浸り、森友学園の陰に隠れ立ち消えになりそうやったが、特区制度って何なんやと頭捻らざるを得ぬ晋三と親しい経営者の加計学園問題追及がやっと本格的になったなあと考えとった。徹底的に追及せなならん。

浅草のホテルで趣味の会あるんで出掛け、その前に吉野家で辛子明太子定食の朝食。

蔵前へと歩き、昼食は「ビストロ モンペリエ」で、注文したのはいつものAランチ。今日は肉料理を選び、ひな鶏の狩猟風煮込み ピラフ添えで、シューサラダ、パン、デセールにはババロア、コーヒーが付いて1350円也。

満足して店を出、これから始まる三社祭の各町内神輿を見て帰宅。

エンリコ・ピエラヌンツィのピアノ演奏をユーチューブで聴いた。

筋トレ小一時間した。

 

 

近頃、興味無い記憶がドンドン忘れるようになっとるが、印象深いもんでさえ細部があやふやになりつつあるさかいメモ書きが無いもんで残しておきたい事を記憶を頼りに記しとく。この旅の事を書き残したメモはWみさんに破り捨てられてしもたんで無いねん。

初めてのガールフレンドやったミミさんと最後に行った旅行が長野県の小谷温泉「山田旅館」ですわ。と云うても、彼女と付き合うとったのが大学生の時で金無かったさかい、お泊り旅行はこことやはり長野県の別所温泉「臨泉楼 柏屋別荘」しかないんやけどな。

小谷温泉は標高千mより上の小さな集落の中ににあって、山々見渡せる所やった。確か名峰雨飾山の登山口が近かったはずや。

南小谷駅からバスに乗り行ったんやが、何月やったのか暑からず寒からずな二日間やった。

旅館が数軒あり昔ながらの湯治場な雰囲気プンプンさせとったが、ワテ等が宿泊した江戸時代創業の「山田旅館」は、奥の方にあって時代がかった木造の宿ですわ。本館と足した建物があったなあ。

本館の玄関に入ると土間があって、立派な梁や柱に風格感じられましたがな。廊下や階段はよう磨き込まれとったでえ。

風呂は内湯のみで、湯船はどないやったか木造りが相応しいけどハイからなタイル張りやったような気がするんやきっちり憶えとらん。豊富な湯量なのは憶えとる。そして、湯は打たせ湯のようになっとる上の方から出とっのも記憶しとる。湯は熱めで黄褐色しとったから鉄分を含んどるに違いない。

宿の事で憶えとるのはそんなところですわ。

人生、油断大敵や。意表を衝かれる事ある。

この旅を楽しみに待っとったミミさんやが、出立してからというものずっと機嫌がよう無かった。

誰かからワテに関する情報がミミさんに伝達されとったんや。誰や、喋り散らしたの。

黙りがちやったミミさん、宿に着き部屋に入ってからは、時に頭振りながらワテの非を責めた。時に喘ぐような表情で責めた。

ワテの不徳の致すところやから、その場限りの云い訳めいた言葉は発せず、彼女の語る事の聞き役に徹しとった。

それで、ワテはこんなはずやなかったのにちゅう思い噛み締めてその後の旅を過ごさねばならんかった。

ワテの脳内には針の筵ちゅう言葉が浮かんどったわ。

そんな有様やったから出された料理の味など全く憶えとらん。

翌日はかなり早く宿を出、その日の予定を取り止め帰途した。

東京に戻るとふたりの間には隙間風が強まった。

ワテはこれ迄に300以上の温泉に行っとるが、最も辛い旅なんや。苦い旅なんや。