『虔十公園林』 | 温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

人生の事をしみじみ噛み締め出す歳は人それぞれやろが、ワテもそないな歳になったんで記し始めました。過去を顧みると未来が覗けます。
基本、前段が日記で後段に考えを綴っとるんで、後段を読まれ何かしらの“発見”があれば嬉しゅうございます。

また中村梅之助の夢見て目が覚めた。起きたの7時半。

朝食には北海道産鱈子使い鱈子パスタつくった。デザートは愛媛産みかん2個。
A君夫妻がこちらに来る日の知らせがあり、今年はどこで酒飲もうかつらつら考えた。
掃除洗濯した。

風呂に小一時間浸り考えとった。来日中国人観光客などが行なうとると云われる免税購入した商品の転売をしっかり防ぐべく法改正すべきや。

散歩に出掛けて昼食は駒形「花坊」に入って、サラダ、赤出汁味噌汁、八寸、蓮根とひじきのご飯、胡麻だれの汁粉のランチ頼んで食うた。満足の1080円也。今日のBGMはまたスティーヴィー・ワンダーやった。
昨日は朝に鼻血としゃっくり出たんで一歩も外に出ずに炬燵に潜り込んどったんで、土曜図書館にも行かんかったさかい、日暮里図書館へ行って「大人の週末」とか新聞読んで薄暮の時刻に外出たら、冷たい北風強くごっつ寒かった。
帰宅して大相撲千秋楽をラジオで聞いとったが、大関琴奨菊が初優勝したの感慨深く聞いた。日本出身力士の賜杯は06年初場所の栃東以来なんやて。
筋トレ30分した。

夕食はブラジル産鶏肉、北海道産じゃが芋と玉ねぎ、千葉産人参をタジン鍋で蒸して食うた。デザートはグレープフルーツジュース入れたヨーグルト。
熊谷泰昌君と川村竜のCD「OL'SCHOOL JAZZ」を繰り返し聴いた後、スーパーに行き明日の為の食糧調達した。


宮沢賢治ファンのWみさんが愛する作品に『虔十公園林』がある。虔十はいつも繩の帯をしめてわらって杜の中や畑の間をゆっくりあるいてゐるのでした、と始まる物語ですわ。
最初に“虔十”とWみさんから云われた時は、拳銃の事かと聞き直したもんや。笑われ、「怪獣と聞き間違われなくってよかった」と、からかわれたの思い出すわ。
けど、『虔十公園林』が世に知られた作品とは今以って自信持つて云われんのやさかい、話の中に虔十まぜて譬えられてもなあ。
彼女にからかわれたもんで読んでみると、地味な話やったがな。でも、心温まる話や。
主人公の虔十は、雨の中の青い藪を見てはよろこんで目をパチパチさせ青ぞらをどこまでも翔けて行く鷹を見付けてははねあがって手をたゝいてみんなに知らせとるようなコやった。
凡人には見出せぬ価値分かるその審美眼は大したもんなんやが、周囲の子供等に映る彼はアホでしかなく、笑いのめす対象なんや。それは大人の見方反映しとるからや。
それで、虔十はだんだん笑はないふりをするやうになりましたんや。風がどうと吹いてぶなの葉がチラチラ光るのが嬉しくてひとりでに笑へて仕方ないのを、無理やり大きく口をあき、はあはあ息だけついてごまかしながらいつまでもいつまでもそのぶなの木を見上げて立ってゐるのやった。
時にはその大きくあいた口の横わきをさも痒いやうなふりをして指でこすりながらはあはあ息だけで笑っとったんや。
そないなコやが、おっかさんに云ひつけられると虔十は水を五百杯でも汲み、一日一杯畑の草もとるえらい子供なんや。けどな、そないな仕事を虔十に云ひつけるような両親やないんですわ。
それでな、ある時虔十は家の裏手ある畑にならないで残っとる丁度大きな運動場位の野原に杉苗を植えたくて、その両親に七百本買ってくれとねだる。兄には土が合わないと反対されるものの、何一つだて頼んだごとぁ無ぃがったものそないな事初めてやから、と父は承知し、母は安心すんねん。
次の日、虔十はにこにこ笑って兄さんに教へられたやうに今度は北の方の堺から杉苗の穴を掘りはじめたんや。実にまっすぐに実に間隔正しくそれを掘って、兄さんがそこへ一本づつ苗を植ゑて行きましたとさ。
ワテはな、ここで首捻りましたがな。自然からその儘学べる虔十がなぜにわざわざ人口林つくるのか?腑に落ちぬ。そやから、Wみさんにそれどない思うと聞いてみたが、彼女は思いもよらんちゅう顔した後笑い出したがな。
それは兎も角、野原の北側に畑を有する平二ちゅう奴に、日影になるから杉植るなとクレームつけられる。それは決して平二だけでやなく、あんな処に杉など植えても育つものでもない、底は硬い粘土なんだ、やっぱり馬鹿は馬鹿だとみんなに云われましたんや。
全くその通りで、杉は五年迄は育ったがもうそれからはだんだん頭が円く変って七年目も八年目も丈は九尺位の儘やった。
そして、ある朝虔十が林の前に立っとると、ひとりの百姓が冗談に杉の枝打ぢせんのと云うの、せなならんと真に受けて山刀を持って来てやってしまうねん。
濃い緑いろの枝はいちめんに下草を埋めその小さな林はあかるくがらんとなってしまひましてん。
虔十は一ぺんにあんまりがらんとなったのでなんだか気持ちが悪くて胸が痛いやうに思った程ですわ。
ところが次の日虔十は納屋で虫喰ひ大豆を拾ってゐましたら林の方でそれはそれは大さわぎが聞えましたんや。
 あっちでもこっちでも号令をかける声ラッパのまね、足ぶみの音それからまるでそこら中の鳥も飛びあがるやうなどっと起るわらひ声、虔十はびっくりしてそっちへ行って見たがな。
すると愕ろいたことは学校帰りの子供らが五十人も集って一列になって歩調をそろへてその杉の木の間を行進しとるやないか。
全く杉の列はどこを通っても並木道のやうでした。それに青い服を着たやうな杉の木の方も列を組んであるいてゐるやうに見えるのですから子供らのよろこび加減と云ったらとてもありません、みんな顔をまっ赤にしてもずのやうに叫んで杉の列の間を歩いてゐるのでした。
虔十もよろこんで杉のこっちにかくれながら口を大きくあいてはあはあ笑ひましたとさ。
それからはもう毎日毎日子供らが集まったんや。
たゞ子供らの来ないのは雨の日で、 まっ白なやはらかな空からあめのさらさらと降る中で虔十がたゞ一人からだ中ずぶぬれになって林の外に立っとるんや。
 簑を着て通りかゝる人に笑って云われる。「虔十さん。今日も林の立番だなす」
その杉には鳶色の実がなり立派な緑の枝さきからはすきとほったつめたい雨のしづくがポタリポタリと垂れ、虔十が口を大きくあけてはあはあ息をつきからだからは雨の中に湯気を立てながらいつまでもいつまでもそこに立っとる姿があった。
ところが、ある霧のふかい朝、虔十は萱場で平二と出会うんや。
百姓も少しはしてゐましたが実はもっと別の、人にいやがられるやうなことも仕事にしてゐた平二。 「虔十、貴さんどごの杉伐れ」とすごむ。
「何してな」
「おらの畑ぁ日かげにならな」
平二の畑が日かげになると云ったって杉の影がたかで五寸もはひってはゐなかったのやけどな。おまけに杉はとにかく南から来る強い風を防いどった。
でもな、杉花粉に悩むワテは云う。杉の花粉が飛んで、迷惑になるやろちゅう事云うたなら平二にも理がある。勿論平二は云わへんけど。
「伐れ、伐れ。伐らなぃが」
「伐らなぃ」虔十が顔をあげて少し怖さうに云うた。それは虔十の人生たった一度の逆らひの言やった。
平二は人のいゝ虔十などにばかにされたと思ったので急に怒り出して肩を張ったと思ふといきなり虔十の頬をなぐりつけた。どしりどしりとなぐりつけた。
虔十は手を頬にあてながら黙ってなぐられてゐましたがたうとうまはりがみんなまっ青に見えてよろよろしてしまひましたんや。すると平二も少し気味が悪くなったと見えて急いで腕を組んでのしりのしりと霧の中へ歩いて行ってしまったとさ。
さて、虔十はその秋チブスにかかって死んでしもた。平二も丁度その十日ばかり前にやっぱりその病気で死んでゐましたとさ。
ところがそんなことには一向構はず林にはやはり毎日毎日子供らが集まっとった。
お話はずんずん急いで、虔十が死んでから二十年近く経ち、虔十のお父さんももうかみがまっ白になっとった。
その村も鉄道が通り、あちこちに大きな瀬戸物の工場や製糸場が出来、そこらの畑や田はずんずん潰れて家が建ち、いつしかすっかり町になってしまったんやが、虔十の林だけはどう云ふわけかそのまゝ残って居ったんや。その杉もやっと一丈ぐらゐ、子供らは毎日毎日集まったんや。学校がすぐ近くに建ってゐましたから子供らはその林と林の南の芝原とをいよいよ自分らの運動場の続きと思ってしまひましたとさ。
ある日昔のその村から出て今アメリカのある大学の教授になってゐる若い博士が十五年ぶりで故郷へ帰って来て、小学校から頼まれてその講堂でみんなに向ふの国の話をした後、博士は校長さんたちと運動場に出てそれからあの虔十の林の方へ行くと、愕ろいて何べんも眼鏡を直してゐましたがたうとう半分ひとりごとのやうに云ひましたんや。 「あゝ、こゝはすっかりもとの通りだ。木まですっかりもとの通りだ。木は却って小さくなったやうだ。みんなも遊んでゐる。あゝ、あの中に私や私の昔の友達が居ないだらうか」
博士は俄かに気がついたやうに笑ひ顔になって校長さんに云うた。 「こゝは今は学校の運動場ですか」
「いゝえ。こゝはこの向ふの家の地面なのですが家の人たちが一向かまはないで子供らの集まるまゝにして置くものですから、まるで学校の附属の運動場のやうになってしまひましたが実はさうではありません」
「それは不思議な方ですね、一体どう云ふわけでせう」
「こゝが町になってからみんなで売れ売れと申したさうですが年よりの方がこゝは虔十のたゞ一つのかたみだからいくら困っても、これをなくすることはどうしてもできないと答へるさうです」
「ああさうさう、ありました、ありました。その虔十といふ人は少し足りないと私らは思ってゐたのです。いつでもはあはあ笑ってゐる人でした。毎日丁度この辺に立って私らの遊ぶのを見てゐたのです。この杉もみんなその人が植ゑたのださうです。あゝ全くたれがかしこくたれが賢くないかはわかりません。たゞどこまでも十力の作用は不思議です。こゝはもういつまでも子供たちの美しい公園地です。どうでせう。こゝに虔十公園林と名をつけていつまでもこの通り保存するやうにしては」
「これは全くお考へつきです。さうなれば子供らもどんなにしあはせか知れません」
ちゅう訳で、功成り名遂げた者が故郷へ錦を飾るは大事や。それが出来る立場の者は疎かにしてはならぬ。そして、錦を飾るちゅうのは、故郷の人々に気付きをもたらす事なんや。
それで、芝生のまん中、子供らの林の前に 「虔十公園林」と彫った青い橄欖岩の碑で顕彰されたんや。
昔のその学校の生徒、今はもう立派な検事になったり将校になったり海の向ふに小さいながら農園を有ったりしてゐる人たちから沢山の手紙やお金が学校に集まって来ましたとさ。
そやさかい、虔十のうちの人たちはほんたうによろこんで泣きましたんや。
全く全くこの公園林の杉の黒い立派な緑、さはやかな匂、夏のすゞしい陰、月光色の芝生がこれから何千人の人たちに本当のさいはひが何だかを教へるか数へられませんでした。
そして林は虔十の居た時の通り雨が降ってはすき徹る冷たい雫をみじかい草にポタリポタリと落しお日さまが輝いては新らしい奇麗な空気をさはやかにはき出すのでした。
功成り名遂げぬ者にも世間に大いなる貢献する者が居る。そのひとりが虔十ですわ。
「虔十は賢治なの」とWみさんが云うとった。賢治は己の事を描いたんやろか?
誰がどない役割を担って暮らしとるかは、短い時間の判断で済ませる事できひん。時間が経過して分かる事や。賢治はそないな事語りたかったんやなかろうか。
そして、価値を価値として理解する事、またそれを知らしめる事が大事やちゅうのもこの物語は述べとると思う。