『かぐや姫の物語』 | 温泉と下町散歩と酒と読書のJAZZな平生

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人生の事をしみじみ噛み締め出す歳は人それぞれやろが、ワテもそないな歳になったんで記し始めました。過去を顧みると未来が覗けます。
基本、前段が日記で後段に考えを綴っとるんで、後段を読まれ何かしらの“発見”があれば嬉しゅうございます。

『かぐや姫の物語』☆☆☆

プータロー特権で睦月は平日も9時頃起きる事がほとんどやったが、その話した友達から口々に余りに弛んどる云われたんで、如月の平日は23時半に寝て翌朝7時半に起きにすると宣言。そやから今週はその通り起きとるでえ。

今朝も7時半に起き、朝食は吉野家にハムエッグ納豆定食を食いに行ったが寒かったわ。
一旦戻って、炬燵に潜り込み大西順子のピアノをユーチューブで聴いとった。
昼食は浅草へ出掛け、正午開店の西浅草「鍋茶屋」へ12時05分入ったら宴会の団体一組のみ。今日もランチうな丼を頼む。吸い物と果物、漬物が付き1000円也。
満足して店出て、スーパーで食料買うて帰宅。

ウンともスンとも云うて来んNっぺにまた葉書認めた。

風呂にゆっくり二時間浸って、偉大な我が国最古の文学「竹取物語」の事を考えとった。意味深な物語やでえ。
夕食はお預け。冷蔵庫に入っとるチーズ類をかじっとるんや。
8日来る云うていたA君夫妻が今夜仕事終わったら新幹線に飛び乗りやって来るちゅうんで、22時頃から小一時間飲む約束しとるんですわ。今、スタンバイ中やねん。


昨日、自宅から木場の109シネマズへ歩いて丁度二時間で着き、遅ればせながら高畑勲監督作品『かぐや姫の物語』を観て、その余韻楽しむ為また二時間掛け歩いて帰ったがな。
初映日から大分経った平日の15時45分開映とはいえ、寂しい事に観客はワテともう一人の二人だけやった。しかも、座った場所がかなり離れとったから貸切みたいなもんや。
しかし、ワテな、席離れとってよかった位涙込み上げ流してしもて、ハンカチぐしょぐしょやった。
この作品、先々週HJちゃんと会うた際彼に薦められとったんやけど、なぜ今更日本最古の文学「竹取物語」を題材にしてジブリがアニメ作品つくらなならんのか、との思いがあって観よか観まいか今迄迷っとったんや。
観に行ってほんまよかった。
まず、タッチが筆で描かれたようになっとったのに感心したわ。
改めて日本の自然の美しさ教えてくれよるのもええ。
それとな、忘れてならぬのが、手を抜いてないちゅうのはこういうの云うんやなあ、ちゅう力込めた作品ですわ。
「竹取物語」ちゅうと女のコが竹から生まれ出、あれよあれよちゅう間に絶世の美女と育ち、散々男共を振って、月世界へと帰って行った月人に、おきながぽっかり穴あいたように寂しさに暮れる物語や。
高畑勲の姫は、竹の子から生まれ出、えろうお転婆なかぐやなんですわ。細い事は気にせぬ男泣かせな娘や。男共を誑かす力持つんで周りの男が幻惑され滑稽な行いしよる。
おうなの豊満な乳房からお乳が出た時、おきなは気付いて云う。「始めから育てなさいという事なのだ」
月世界の者共からすれば、「穢れた世界で始めからやりなさい」ちゅう事ですわ。
それからいろいろ有難い天の思し召しは竹を通じ続くんやけど、後から振り返るとそれらは月世界の者共がもたらした罠でもあんねん。
すっかりおきなは竹の子から生まれ出た娘が高貴な一生を過ごすべく生まれてきた姫やと信じ込む。
後はもう親馬鹿チャンリンやがな。
娘が高貴な身の大人になれば、お歯黒に眉を抜く事になんねん。かぐや姫の疑念の通り自然やないが、いつの世にも笑える習俗はあるもんや。今も見回してみい。
その様に、かぐや姫には窮屈な枷が増え続けるんや。
「高貴な姫君は人ではないのね」そうかぐや姫は云う事態になるのに、おきなは相変わらず親馬鹿チャンリンなんや。
いつの世にもありますやろ、子の心親知らず。かぐや姫は、おきなの願った幸せが辛かったんや。
そして、遂にかぐや姫は月に向かってシグナル発してしまうねん。
この作品では豪華俳優達が声優務めとる。
おうなの方は、姫への運命辿る娘にいつも優しく寄り添うんや。そのおうなの声は宮本信子がやっとるんやが、流石やでえ。
娘の思いを認めぬ一本気やが憎めないおきなの声をやった亡くなった地井武男も、よかったわ。
けどな、かぐや姫の声に朝倉あきちゅうコを起用しとるのがど真ん中に当たったんや。彼女の元気さが活きとるんや。ええキャスティングやがな。
映画観た後自宅に戻り、公式サイトを確認した際にワテおきなやのうて?やったのが、<姫が犯した罪とは、その罰とはいったい何だったのか>ちゅう惹句や。そこ、強調するとこかいな?
生まれて来たのが罪で、生きてゆくのが罰と思い込んどる人々が観るべき映画ではある。
この世は穢れとる。生きてゆけば分かる事でんがな、誰でもな。
しかし、かぐや姫は、はっきり違う、と云い切るんや。
その時かぐや姫はこの世に残りたいと強く願っとったんや。穢れあるからこそ生きる意味あんねん。