ここ数年持病を患ってから、自分は何かわだかまりがありました。
外来で待っている時間それってなんなのかを考えていたんです。
それは数年前からの自分の中での常識化していたことでした。
私の病気はテンションが高くなれば病気のサイン、
詩が書きたくなったら病気のサイン
やりたいことが一般的な常識から少し離れたら病気のサイン。
結局サインを気にして線引きをして自らに早い段階での限界や諦め、そしてその中で幸せを全うできれば良いなんてのが自分の中での生活論でした。
でも待てよと今日は思ったんです。
最高の自分なりの幸せを得る以前に、既に最悪の病気患ってるじゃねえかって。
それがまた顔を出すのが恐いから何にも手を出せない、できればローリスクローリターンな生き方を目指してる。
でも既にハイリスクは高校の時に出てるわけ。
なんとなく言いたいことが明確になってきました。
悪いことしてないのに嫌な病気になっちまったんだ。
それの原因が勉強のしすぎとアルバイトの兼務?
それだけで壊れたからもうそれ以上は出来ないって諦めてたけど、今日はそんな自分に待てよと思った。
ハイリスクがもう体に染み着いてるなら、神様だってそのまま静かに生きろだなんて不愉快だ。
要はやりたいようにやりたいの!
甘い蜜なんてどこにもない!
世間体が良いって言うものに案外自分は良いと思わない。
科学の進歩ってのにもつねに罵声だの世間体の悪態がつくけど
昨日伊丹谷良介さんっていう世界的に活動してるシンガーと話をして沢山気付いた。
とりあえず行動だ。
伊丹谷さんは言った、人間てのは悲しいことに怒りや悲しみや苦しみから生まれるものが一番パワーになる。
やらなければ0だけどやれば1にもなるし1000や10000になったりするが、大抵の日本人は心に歯止めをしてやらないのが99%だ。
つまりやるかどうか。
今までしていた精神的な保証なんて、崩れてみれば全くアテになりゃしない。
なんだかんだ言って何も安定はないしつねに動き続けないかぎり人間は成長しない。
自分はどうやらありもしない安定にすがっていたのかもしれない。
病気のケアはもちろんするけど過剰に反応してる自分は止めよう。