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某大企業の某工場
そのくらいの規模になると敷地内に変電所なんかもあります。
高圧の鉄塔が建っているんですが
そこの梁の目に入るところに張り紙がしてあります。
よいこはのぼらない
ってか、よいこが簡単に敷地内に入れるのか?
そのよいこ達の為の張り紙なのか?
工場に入ろうと思ったら面倒くさい手続きが要るんだよ?
それともよいこ達はフリーパスなのだろうか?
若しくは自社の社員に向けての張り紙だろうか?
だとしたら偉く社員を馬鹿にしてるとしかおもえんが…
大企業の考える事は不思議です。
GOみたく零細企業に勤めていると大企業や公務員がうらやましくなる。
給料は良いだろうし、ボーナスだってたくさんある。
有給休暇だってたくさん取れるし福利厚生もばっちりだ。
こちとら給料安いボーナス低い有給もろくにとれず福利厚生なんてありゃしない。
やってられっかっての。
おまけに最近メイン取引先の伝票が変わってこちらで発行しなくちゃならなくなった。
ただでさえ過剰労働ぎみなのにこれ以上仕事増やすなっちゅうの。
まあ色々内情聞いていると伝票を替えたのもわからんでもないが…
別名目で伝票を切って自分用の私物を買う奴。
別名目で伝票を切って遊行費に当てる奴。
大きくなればなるほどチェック甘くなるからやりたい放題だ。
そんな事がたくさんあるから不正防止の為にそうなったんだろうと思うけど・・・
大企業が純利益たくさんあげてるのって結局は下請けや出入り業者いじめての事でしょ?
しわ寄せは弱者にくるんだよね。
勝ち組みだって騒いでいるけどお前らはホントに下を見たことがあるのかと小一時間問い詰めたいよ。
とある大きな会社のお話。
仕入業者に対しての過剰なまでの経費請求。
注文FAXを入れたからと支払い時に10円。
指定伝票を送ったからと支払い時に80円。
それぞれ通信費として請求金額から引いて支払う。
もちろん手数料だって引いているさ。
通信費などは認められた経費じゃないんでしょうか?
そんな事いっていたらそのうち電話代も引かれたりして…
もしかしたら顧客相手にもおんなじことしてるんじゃないの?
なんて勘ぐりたくもなる。
みみっちい経費削減して利益あげたところで
人命に関わる不祥事が出てきたらなんにも無いじゃない?
ちょっと神経を疑ってしまいます。
上司の話
きつねうどんを頼んだら「あげ」が
なかなか噛み切れなかったそうな。
よくよく見ると綺麗にラップに包んであったそうな。
っていうか噛んだらわかるだろ?普通。
俺の話
ファミレスで伝票を持ってきた兄ちゃんが
何をトチ狂ったか伝票差しでなく
お冷に突っ込んでくれた。
訳わからねえ…
また面白い話があったら報告します。
○ら、という一皿百円の回転寿司屋に入った。
驚きの連続!!すげーハイテク!!
驚きその1
通常飲食店等で順番待ちするときの
あの紙がおいていない。
タッチパネル式の液晶の機械に
人数を打ちこむだけ!!
カタカタと番号付の紙が出てくる。
後は番号呼ばれるのを待つだけ。
驚きその2
ベルトに流れているもの以外の注文も
タッチパネル式の画面を操作するだけ!!
しかも注文の品が近づいてきたら
画面と音でお知らせの親切設計!!
インターホン式のなかなかつながらず
イライラする注文形態とは大違い!!
驚きその3
お皿にはQRコードがついている。
これで鮮度管理もバッチシ。
しなびたネタは流れていない!!
驚きその4
これが一番驚いたのだが食べ終わった皿は
席に備え付けられている挿入口に流す事が出来る!!
この挿入口に皿を入れる事によりお皿の数をカウント
何より嬉しいのがこの行為を行う事によって
テーブル上にいらない皿が散乱する事が無いという事だ。
普通の回転寿司屋であれば食べ終わった皿は
テーブルの上に山と積まれ、邪魔にしかならないのだが
非常にテーブルの上が片付いて落ち着いて食える。
このアイデアは非常に優れものだと思った。
更に皿を挿入口に入れるだけでは空き足らず
5皿挿入するごとに注文用のタッチパネルの液晶画面が
突然(意味不明な)ゲーム画面に突入する。
そして見事ゲームに当選するとオリジナルグッズが
入ったカプセルがレーンの上の棚に備え付けられた
カプセルケースより出てくるのだ!!。
もうお腹いっぱい!!でもあと一皿食べればゲームが出来る!!
射幸心をあおった素晴らしい仕掛けである。
恐らくこの地方にもこの寿司屋はある様である。
もう一度いってみたいなあ…
楽譜に書かれた音は文章であり、
フレーズ一つ一つが単語であり、
元になる理論は文法である。
そう考えると楽譜の読み方がガラっと変わる。
例えば・・・
「私はあなたが好きです」
という言葉をしゃべるのに棒読みする人はいないだろう。
なぜならば気持ちを伝えるのに感情を込めない人は
いないからである。
言葉に感情がこもるのであれば
フレーズ(=文章)に感情がこもるのは当たり前ではないか?
であるから楽譜は「読む」ものなのである。
「読む」ということはただ単にその音を発音するのではなく
どのような意味があってどのように感情を表現するか、
ということを考えながら読むのである。
そういった観念から考えると、自分も含めて
そういう音楽が出来るグループが少なくなったなあと。
JAZZみたいな音楽は特にこの傾向が顕著だと思う。
第一線で活躍しているミュージシャンと
アマチュアミュージシャンの最大の違いは
「JAZZ語」を理解しているかしていないかの違いだと思う。
JAZZ語は音楽語の中でも特に特殊な言語ではないだろうか?
歌い方(しゃべり方)、フレーズ(単語)など
理解していないとJAZZ語はしゃべるのは非常に難しい。
アマチュアの社会人バンドや学生バンドなど
特に最近ブラスバンドの歌い方をしているところが多い。
やはり少しでもJAZZ語を理解して演奏すると
非常にかっこいい演奏になるのになあ、惜しいなあと思う。
自分自身含めてもっと練習しなきゃと思う。
そんなことを考えた32歳、梅雨の昼下がりだった。
連休を利用して関西方面に出張ったのだが
日曜日には念願の高野山へ初めて行って来た。
友人が高野山大学を出て住職になったのもあるが
修行僧の方々があちらこちらで
という噂が本当かどうかも確かめたかったのだ。
ほんの少しの見物だったので残念ながら
空を飛ぶ裏高野の修行僧の方は見受けられなかった。
とまあ冗談はさておき…
想像していた高野山とは大分印象が違っていた。
やはり表通りはかなり観光地化されていたし
人もうじゃうじゃいてなんだかなあと思ったりもした。
奥の院へ続く参道には色々なお墓があって楽しかった。
ロケットも会ったし福助もいたしコーヒーカップもあったなあ …
法然上人のお墓もあったので其処だけはおまいりをしてきた。
時間があったら今度はゆっくりと散策してみたいと思った
高野山初体験の32歳の夏であった。