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卒業式が、終わりました。

 営業最後の2月は、常連の方が何回もいらっして下さったり、素敵な来賓のご家族がいらっして頂いたりと、ラブラブ!楽しくもあり、しょぼん名残惜しくもあり、10年間の数々の思い出と、新たな生活が始まるドキドキとが入り交じっておりました。

綺麗なお花をブーケ1お持ちになった方々は、しょぼん本当に、無くなってしまうんですね!』と・・・

なんとも言えない、惜別の感情が湧き上がります。

やはりこの春、ブーケ2卒業式を迎えられる人が感じる祝日門出の情景』です。

10年間という時間は、中学校、高校、大学と学んでいる時間と同じ長さです。結構ながいもの。



私どもと同じころ開業された、お医者さんも当時のことを思い出しながら『いいですね♥、羨ましい!』と、なにやら私どもの卒業がうらやましそうに言われておりました。

10年というレストランの毎日は、ナイフとフォークご予約の受付、ワインテーブルセッティング、そしてそのリクエストの料理を仕上げながら、片方でアレやコレやの仕込みをしている每日で、晴れ起きては準備、三日月寝ては次の日の段取りを考えている。繰り返される日々の緊張です。

この過酷とも言える仕事は、来店されたお客さんの「幸せな笑顔」が無ければ、とてもやっていけない様なハードさでもあります。

ですから、10年という月日頑張ってこれたのは、ひとえに『楽しそうで、幸せにひたっている笑顔ドキドキ』を、お礼に頂いたからに他なりません。

それと違い、病院は、治ったら来なくなるのですから、お医者さんは病気の時のお付き合いですね!

なかなか神経をすり減らすお仕事で、人の気持の報酬を受けにくい職業でもあります。

それでという訳でもないでしょうが、『羨ましい!』と言われたのは、多数のお医者様でした。

そう言われてはじめて気づくもので、なかなか人の仕事というものは、解りづらいものです。


特に日本人の労働観は、昆虫に例えられ『働き蜂やハチ働き蟻』あるいは、狭い住宅環境を『にわとり小屋』等と言われてきました。

人生を楽しむ為に働く』といった余裕もなく、過労死までが出るような労働環境で仕事をし、家に帰ればお風呂に入って寝るだけ。一方GNPは世界の上位だから豊かになったなどと、言いくるめられて納得している私達。たしかに昔と比べると物に溢れていますが・・・


卒業旅行で、ベトナムに行って感じたことは、

貧しさや、豊かさ』は不思議なものだなはてなマーク、と言うことです。

フランスでも一ヶ月のバカンス霧のために働き、また家族との日々の楽しみのために働く。

仕事をさっさと終われせて帰るというより、家族と楽しむ時間が無くなるなら仕事をしている意味が無いといった、労働観があります。

ですから、自分の生きている限られた時間を大事にする。全てはその為にあるという・・

ベトナムの人々の決して豪華では無いが、豊かな食事を心がけて楽しむこと等々。

言い換えれば、自分の時間がなければ、貧しい人生だということに尽きるのでは、との価値観。

そうは言ってもなかなか、日本標準の労働が当たり前になっている中では、そうする事も難しいものです。


という持って回った理由で、10年に一回は、『リセット&リフレッシュ』タイムを設けております。

卒業が終わった翌日の目覚めは、いつも実に清々しいものです。

大きな荷物が無くなり、追いかけられる影もなく、視界が一挙に広がって世界がひときわ輝いて見えてくるものです。この官能的な快感があるからこその10年。



卒業の翌日、3月1日の朝は、虹何故だかしら10年ぶりに「いつもと違う朝」を迎えることが出来ました。

何やらやり遂げた感といいますか、重い荷物が降りた感じといいますか、清々しさまで感じておりました。


皆様におかれましても、『人生なんて、アット言う間流れ星』ですので、『命を楽しむ時間ラブラブ』を作って、御一緒したいものです。

合格ほんのチョットだけ、お先させて頂いております。








はじめて、他のアジア 14

 さて、今日はベトナム旅行のメインイベントというべき、マジェスティック・ホテルにいよいよチェック・インする日を迎えました。フランス植民地時代の1925年からサイゴンを見ていたホテル。

アール・ヌーヴォーの外観で有名な5階建てのホテルです。現在は新館も増設されております。

建った当初の写真を見ると、周りはまばらにトタン屋根のようなバラック小屋があるばかり。そんななか、よくこんな豪華な建物を作ったものだと、ただただ{へ~}でございます。

場所は、これもサイゴン川とドンコイ通りに面して建っております。

少し早く着いたので、フロントでチェックを済ませ荷物を預かってもらいました。

シックなアオザイを着た女性が、日本語で対応してくれます。

天井は高くかつ、壮厳な雰囲気のロビーに在る椅子に座って、歴史の香りを嗅いでおります。

前回は、『難しそうに書くことが、かっこいい』と、卒業論文ふうに、アレやコレや書きましたが、私もたまには青春時代に戻りたい時があるのです。お遊びという事で、お許しあれ。



此処のホテルこそ、富を巡る闘いの舞台となったホテルです。

少し長いが、ウイキペディアより、

『フランス植民地時代の1925年に、華僑実業家のフイ・ボン・ホアによりサイゴンで数少ない近代的ヨーロッパ風ホテルとして開業した、外観にアール・ヌーヴォー的デザインを施された5階建て(フランス形式では4階建て)の建物に、44室の客室とレストランが設けられていた。

第二次世界大戦勃発後の1940年にフランス本土がドイツ軍に占領され、親ドイツのヴィシー政権が発足したことに伴い、フランス領インドシナが1941年7月に日本軍による南部仏印進駐を受け日仏の共同統治となった後は、「日本ホテル」と改名され進駐した日本軍や政府関係者の宿舎となった。

1945年8月の終戦後にサイゴンを含むインドシナ一帯がフランスの単独統治に戻された事を受けて、再び「マジェスティック・ホテル」へと名称が戻された。その後オーナーや管理者が数度にわたって変更され、ベトナム共和国(南ベトナム)が成立した後の1960年代に入ると時代遅れとなっていた外観や主要設備を改良した他、屋上階の増設が行われた。

なおベトナム戦争中の1964年から1965年にかけて作家の開高健が朝日新聞社の特派員としてサイゴンに派遣された際には、本館の103号室を宿泊先として使用した他、産経新聞特派員の近藤紘一をはじめとする世界各国のジャーナリストが使用している[1]。なお1975年4月には、6階のレストランが北ベトナム軍のロケット砲の直撃を受けて一部が破壊された[2]。』

今でも、世界中で続く紛争ですが、その歴史上の背景や動機は色々ありますが、やはり”富”を巡るものなんですね。今も昔も。

『そんなにお金を持って、どうする?』お金¥といった人達が、外交上の駆け引きや、収奪する為の策略を巡らせるために、泊まったホテル。

その醜い目的を隠すかのように、それぞれ錦の御旗を掲げておりました。

そのなかで『生きること』を守ってきた、サイゴンの人々。

雨露をしのぐ所と、食べる喜びさえあれば、チョキそれが人生さ、みたいな・・・

ちょうどその対極の雰囲気を味わうために選んだ、ホテルなのです。

下町のホテルから、ビジネス・官公街のホテル、そしてここ。



 星空屋上のエムズ・バーで、黒々として歴史の闇を飲み込んできたサイゴン川を、行き交うクルーズ船の光を眺めながら、二人でカクテルを重ねると、カクテルグラス”今”カクテルグラスという時を感じさせてくれます。

今は亡き、近藤紘一さんや開高健が宿泊した、旧館のお部屋に戻り、明日はいよいよ飛行機帰国の時です。


書かなかった、にひひ色んなハプニングや可笑しかったことがありますが・・・


シェフのブログで、書かれるかもしれないので、このへんで一休み一休み・・・かな。

はじめて、他のアジア 13

 ベトナムに来てから、ペットボトルのミネラルウォーターにはお世話になっているが、食事の時はいろんな飲み物を頂いたワインカクテルグラスビール。ベトナムの水は硬水で、あまり清潔じゃないと聞いているので。フランスも水が悪いせいか、駅などの自販機でよくミネラルウォーターが売られていた。

 それが理由かどうか分からないが、伺った先のレストランで、お水だけで食事をする人を見かけたことがない。

 ただ胃の腑を満たすために食事をしている訳ではないので、飲み物という楽しみも味わうのが当然とした感覚なのだろう。にひひ


 それと、英語圏かと思えるサイゴンで気をつけたことは、「I need ナニナニ」と「May I have ナニナニ』といえば、使う場所で違うという事。
 丁寧な方は、ホテルやレストランナイフとフォークで使うし、もうひとつはハンバーガーファースト店向き。
つまり人として丁寧に接している所ほど、当然ながら温かく丁寧な言葉を使うことに。

 これを結構反対に勘違いしている人が多いのでは!。例えばファースト・フード店より多くの金額を払うのだから、云えば横着な物言いが許されるとした人が多く見受けられる。

 なるほど、『生活や文化は、言葉を生み、言葉はその人の生活や文化度を表す』とも言われている。アサマシさやサモシイ言葉や態度はNG、世界中で何か共通の物差しを持って計られているてんびん座のかもしれない。


得意げアラアラと、そんな方を時々こちらでも見かけるが、ベトナムの方はその国の人全体がそうあるという見方よりは、その人その人を見て対応しているみたいだ。  さすがに交渉上手は、伝統か!?

 私が知っているだけでも、外交面でも交渉術は定評があるところ。ベトナム停戦を目指して、1968年から1972年まで続いたマラソン交渉では、”したたか”としか言い用のない交渉技術を駆使し、100%自己に有利な協定を纏め上げたのは、世界的に有名な話だ。などと・・・

 ホテルに帰ってワイフがプールに行っている間に、ソファーに座ってベトナム国営放送のテレビパソコンを見ながら、日本人との違いを色々思ってみる。こんな時間も、素敵で楽しい。

 プールから上がってきて、少し休んだら今度はテニスコートにテニス行って遊ぶ予約を入れてある。我々の後は、コーチ付きのプライベートレッスンの予約があった。たしか日本の駐在員の方のような名前だった。

テニステニス下手な二人ではあるが、こんな所でするテニスはなんともも格別なもの。

汗をかきホテルのフロントに戻ると、日本の駐在員の奥様と見受けられる一団が。

お子様たちが、電車バスで帰ってくるお出迎えだった。

なんとなく、その奥様たちは結構お疲れになっているように見えた。

 ベトナムでの公務員の初任給は、たしか一万円くらいと聞いている。駐在員でここで生活すれば、どれだけ贅沢ができるかわからないのに、何故?
 
このコンドミニアム・タイプのホテルはホテル、日本の住居と違って広々と作られているしプールで泳ぐことも、テニスコートで遊ぶことも出来る環境であるにもかかわらず・・・お疲れ気味?

 やはり異国の地で生活をしていくということは、想像するより大変な事なんだろうか?
退職を機にいろんな国で、生活をしている日本人もいると聞いている。
気に入れば、そんな海外移住もいいかもと、つい思ってしまう私なのだが。

しかもここはアジア。そしてアジア人の中でも日本人とよく似ていると言われる人々。
日本と同じ大乗仏教や儒教の影響を受けている国。
しかし、たった数日の滞在でさえ私達が感じるものは、フランス滞在の時の緊張感とも違うナニカ!?

疲れ方が、違うように思える。

やはり、これは表面だけでは解らない晴れ“歴史を土壌”星空として育まれてきた、ここサイゴンの生活や文化の空気感が原因かもしれない。

同じ野菜でも土地柄(土の違い、微生物の違い、気候の違い等々)で、見た目は同じ様でも、違う味わいに成るという・・・

ここ、ホーチミンことサイゴンの”土壌”はというと、例えば通りの名前は、数えきれない殉教者の名前であふれている。そして、どんなに路ができても困ることはないという程いる救国の英雄たち。
 世界的に知られている人たちも多く、抗仏戦争でフランス軍を破った、史上名高いディエン・ビエン・フーの戦いを指揮したボー・グエン・ザップ将軍や、1975年のホーチミン作戦を指揮しベトナム統一を成し得たヴァン・チエン・ズン将軍のような救国の英雄を、数限りなく生んだ国。


やはり、時計この国の歴史が蓄えた、この圧倒的なベトナムの人々の発するエネルギーは、島国の日本の貧困な資源の中での苦労で育ったのと違って、智略に富んでいて伶利なオーラがあり、その異質なパワーにあ照られている緊張感からかもしれない。




いらぬお節介は、之くらいにして、バスルームに行きあせる汗を流そうっと。

 夕食は、どこで楽しもうかなっと。音譜一泊だけのこのホテルなので、近くに良いとこないかな。シラー

続く・・・










はじめて、他のアジア 12

受付を済ませ、部屋まで案内してもろうと・・ドア

びっくり!目

なんと広々とした空間か。入り口を入ってすぐ横の部屋にはシステムキッチンや大きな冷蔵庫・洗濯機がある台所。もちろん鍋釜(驚いたので古い言い方に)包丁にワイングラスや食器が完備されている。

その隣のお部屋を覗くと、バスルーム。さらに廊下を進むとダイニングテーブルと4脚の椅子。
その上に、オレンジ果物と飲み物コーヒーが置いてあり、私の名前があるメッセージがおかれていた。

そして広々としたソファーとテレビ大きな液晶テレビとビデオデッキ。このお部屋の両側にはそれぞれ大きなベットが置かれたお部屋がある。そして部屋続きのもう一つのバスルーム。いわゆるツー・ベットルーム&ツー・バスルームなのだ。窓から外を眺めるとプールがあり家族連れやカップルで泳ぐ姿が、見える。その先にはテニステニスコートで熱中してプレイしている方々が・・・

『ここはベトナム?!』今までいたエリヤと明らかに違う空気がある。

ホテル「Somerset Ho Chi Minh City Hotel」グエンビンキエム通りにある、かなりリーズナブルだったので自宅のネットで予約したところだ。

ワクワクしながら、準備を済ませると、早速お昼ごはんを食べにお出かけ。

お昼はサイゴントレードセンターの最上階にあるレストランをめざして歩く。ここならサイゴンを一望できるに違いない!

銀行大きな銀行に入って、両替してもらいその角を曲がりグエンティミンカイ通りを下る。ベトナム国営テレビ局の建物を左手に見ると角を左におれる。そしてトンドクタン通りに出る。ホーチミン市人文社会科学大学のキャンパスを左手に見ながら歩く。目的のビルはひと際高くそびえている、「あれ!」だろうと目指す。

大学の前は、専門学校の校舎もある。そのせいか結構コピーやさんFAXや文房具屋さんが点々とある。

所謂このあたりはオフィース街。フランスやイギリスの領事館があり病院もある。
5つ星ホテルのソフィテル・サイゴン・プラザホテルのような、高級ホテルもある。


雑然とした賑々しい下町の雰囲気とはまるで違う感じだ。それでも開けっ広げな食堂は、庶民の人たちで賑わっている。その中にはさすがにオフィース街に勤めている人は、見かけない。


目的の高層ビルに入ってエレベーターに乗って最上階へ着いたが、違う!

ここは最上階ではない!?

ここのオフィスビルで働くベトナム女性にあったのでおとめ座、ワイフが英語で尋ねるていると、同僚の女性たちが寄ってきて『あまり英語は出来ない!』おとめ座おとめ座おとめ座と。かおあちらも物珍しいのだろう!日本人とおしゃべりするのが。
キャピキャピラブラブしながら、ちょっと緊張気味。とんだオフィースへの闖入者に、けっこう喜んでいる。音譜

違うエレベーターとのことのようなので、乗り換えてこんどこそ最上階に着いた・・・がガーン

ドアが開くとすぐにベニアで閉ざされている。無くなっている眺望のよい我々の楽しいはずのランチタイム。

気をとりなおして、ナイフとフォーク一階にあるハイランズ・コーヒーで軽食ランチ。

どうもソファーが大きく揺れると思ったら、横にすわっているデップリとした白人の動き。話しているのはベトナムのビジネスマン。何の苦もなく英語で冗談をかわしながら、ビジネスのお話をされている。しかしむっ、やめてほしい小太りならぬ、大太りの白人の動きだ。

走る人走る人物足りなさを抱えながらホテルに戻ると、ホテルのプールとテニステニスで楽しむことにした。o(^▽^)o

続く・・・


はじめて、他のアジア 11

毎夜、新月一人で出かけてくるワイフですが・・・

どこに行ってくるかと申しますとあし、ホテルの前にある商店です。

せっかく勉強したベトナム語を試しにではどうやらなく、ベトナム式交渉を試しに行っているようです。相手の気持を読みながら、商品の値段をやり取りすることに、チャレンジしに行ってるとの事。

ペットボトルなどを抱えて、楽しそうに戻ってきます。

その商店のベトナムの“おじさんやおばさん”とのやり取りを話してくれますが、これが実に面白い。私はお腹を抱えて聞いておりました。

いずれ、ワイフのブログでも書かれるかもしれませんが、お楽しみに。

それにしても異国の地で、よくやるものだと感心いたします。


『女性はたくましい!』とよく、おとめ座世界中で聞くが、そうだと思います。

何が違うといったら、一番はなんといっても『生命力晴れ』でしょうか!?


ここベトナムは、驚くことに爆弾400年にもわたる戦争状態が続いた国。

男は戦場に駆り出され、あるいは権力を巡る争いに身を投じていた長い間、畑や田んぼで仕事をして生活を担ってきた女性たち。富を巡る争いは、一つしかない命を滅ぼして行くのと真反対に、畑仕事や魚釣りなどで、子供たちやお年寄りの命をを育んできたのです。
そういった意味では『かかあ天下』になって当然だとも言えます・・・と、

最もらしいことを描いてみたが気休めです。はい!半分は捏造です。これが本当に解れば、私は国賓としてベトナムに呼ばれると思われます。だって昔から国家幹部の男性は、奥様の尻に敷かれっぱなしですから。

ご安心あれ! これからは、デフォルメされておりません。

特に南部のメコンデルタの自然はとてつもなく豊穣で、寝ていたら果物が落ちてき、魚がかかっているているのですから、『勤労』『禁欲』は辞書に無く、当たり前ですが『お疲れ様』とも言いません!

さらに、ここサイゴンはベトナムにあっても最も豊かな自然の恵みが集まるある所。オレンジバナナ

あの世界の注目を集めた、ベトナム戦争中でも市場には様々なオレンジ果物や野菜、サイゴン川や太平洋の魚うお座かに座や家畜の肉ぶーぶーが並んでいたと・・・
ちょっとお口に合わなければ、食べないで捨ていたとの事ですから。まさしく{へ~}でございます。


日本が戦争中の時は「食糧配給制」で、芋の蔓やそこら辺の雑草まで食べいた『貧しさ』とは、雲泥の差です。


そんな、昨夜のことを思い出し、日毎に変えられていて豊かな自然を感じるバイキングを戴きながら窓の外を見ると、今までで一番暑そうです。
今日のお昼にはここを発ち、ホテル予約しておいた次のホテルにチェック・インしなければなりません。

というわけで午前中に、ここから歩いていけるベトナム最大のバックパッカーエリヤに行きます。

例の高級ホテル、ニューワールドホテル・サイゴンを見ながら、レライ通りとファングーラオ通りに挟まれた涼しい公園霧を歩いていきます。この公園の名前はわかりませんが、長さおよそ東西に1キロ・幅100メートルといったところです。その中にはちょっとした建物があり、社交ダンスの練習や踊りの練習が見られます。バトミントンをする人。ジョギング走る人をする人あり。また、ちょっとしたアスレチック用の、器具が設置され地元の方が利用されております。

オジサンが歩いている私達を見とがめて、『やってみない!』と笑って声をかけきました。

それではお言葉に甘えて、二人してやってみましたがなかなか難しい!

するとオジサン自身がやってみせると言って、なかなかお上手。それを見た我々が拍手をすると鼻の穴が広がり得意満面の顔です。(≡^∇^≡)我々二人顔を見合わせて、どこの国でも同じだね~と。

デタム通りや、ブイビエン通りのなか網の目のようにある路地々は、住居が並び生活の匂いに包まれている。庶民の生活と一体となったエリアといって良い感じがしました。すなわち実の部分が覗えるところです。
言い方を変えれば、まさしく化粧を落とした、サイゴンです!?。

あし突然『日本人の方ですか?』と、声をかけられました。

見ると20代の日本の男性。話してみると6ヶ月前にこちらに来て働いているとの事。知らない街で感じの良い日本人に会うと、妙にほっとしてしまうものです。知らず知らずにけっこう緊張しているものですね。

それでという訳でもないでしょが、シラーここで食事をしていたり、歩いている外国人を見るとその方達もまた、我々の居るホテル利用者とは、ちょっと違う雰囲気だったに感じるのは、気のせいでしようか?

さて四日間お世話になった美しいおとめ座おとめ座アオザイのベトナム女性に見送られて、いよいよ次のエリヤにあるホテルへ出発ですベル

続く・・・

はじめて、他のアジア 10

富士山ベトナムから、日本が見える。

壁にか掛かっている液晶テレビをつけてみると、どうやら衛星放送が見えるらしい。

ベトナムは民間放送はなく、国営放送との事。正式国名はベトナム社会主義共和国。さぞ堅苦しい物ばかりかと思いきや・・・

テレビショッピングがズ~~~~と流れているチャンネルがあるではないかテレビ。これが結構面白い。

ハマってしまった。やはり日本とは違う商品が次から次に紹介され続けている。

{へ~}の連続だ!ちょっと飽きたところでチャンネルを変えると日本の放送が・・・

NHKの海外向け放送だろうが、初めて見た。英語で解説されながら、これが日本,という景色やら品物やら、職人さん達へのインタビューやら流されている。目こんなの見たことがない!

こんなところで、日本という国を紹介してもらうとは思わなかった。初めて触れる日本が多くて、新鮮だ。でも、日本で見ていたらそれほどの感激もなかったかもしれない!
なにせ、福岡から2500キロも離れた、ベトナムのサイゴンのホテルの部屋。だからかもしれない。そんな訳で、{へ~}の連発である。お断りしておくが、感嘆符の”へ~”ですので、あしからず。

こんな日本を見ていると、禁止『日本人だから、日本を知っている』なんて言って、勘違いしてはいられないと思った。これを見ている外人の方がよっぽど、日本通になると思える。

そんなこんなで、テレビショッピングや、国営放送や、NHK海外などを、楽しんでいると、アッという間に夕方。
もっともお昼が遅かったせいもある。


今夜はどこに、何を食べに行こうかと協議。音譜

決まった。それはシンガポール料理のレストラン。近くにある。

すでに慣れた道を歩いて行くと、すぐに見つかった。

看板には『Lion City』しし座とある。

呼び込みのお姉さんに案内されテーブルに着くと、早速メニュが。

ここの名物料理と聞いている、カエル『カエルのお粥』とうお座『フィッシュ・ヘッド・カレー』を頼んだ。

飲み物は『333』という、ベトナム・ビールと、日本では見かけない飲み物を。

量の多さには、閉口して少なくしてもらったが、食後には、シンガポールにも今度は行ってみたくなった。

それと言うのも、ここのレストランのニコニコシンガポール人のオーナーさんが、『料理は気に入ってくれたのか』『どこから来たのか』とか『福岡は日本のどのへんか?』などと、我々の満足した顔をみてか、けっこうな金額を使ったからか、上機嫌で話しかけてきた。
もちろん英語!で。


ベトナムに行くのだから、少しぐらいはベトナム語をと、特にワイフはCDだのベトナム語の本を買って勉強していたが、来てみると英語。ちょっと拍子抜けした感もあるが・・・

ベトナムの学校教育でも、英語が入っているらしい。それに街中の看板は、ベトナム文字クオック・グー(Quốc ngữ)なのだ。どうりでフランス語か英語の様な看板ばかりが目に飛び込んでくるわけだ。

満月ナイフとフォークこうして我々は、サイゴンでシンガポールも味わうことが出来て、なにやら満足したディナーだった。

続く・・・


はじめて、他のアジア 9

さて、今日も朝から体に優しく豪華な朝食を、いただく。

相変わらず入れ替わりはあるものの、インドの方や、ヨーロッパの方や、アメリカの方々がそれぞれテーブルを囲んでいるモーニング風景だ。

本当に多国籍、と言う他はない。

そういえば、私どもの郊外にあるレストランでさえ、いろんな国の方がお見えになった。

台湾・中国・オーストラリア・ニュージーランド・イギリス・オーストリア・フランス・アメリカ・・・

ましてや、ここは国際観光都市サイゴンだから、当然といえば、当然のこと。

得心しながら、五階のレストランから見ると、外は今日も良い天気。

今日の目的地は、少しは観光スポットで紹介されている所にも行ってみよう、という事で・・中央郵便局とサイゴン大教会に。

19世紀末のフランス植民地時代に作られた建物らしい。両方ともすぐ横に並んでいるので楽でいい。

フランスは1800年以前からベトナムとの関わりを持ちながら、植民地化していくのだが、その後、日本・アメリカの支配を経て、ベトナム戦争やドンッ越中戦争や第三時インドシナ戦争を経て、メラメラようやく1993年に戦争が終結したと言ってよい。

そのせいもあってか、平均年齢が27歳とも言われ、35歳以下の人口がなんと60%になるともある。日本は高齢化し若者が少なくなって、危機だと言われているがとんでもない!

ベトナムの民は常に国内の支配者や外国から、脅威にされされてきた歴史を持っているとも言える。

そんな中、生き抜いてきたのだから凄い。チョキ

街中で見かける、屋台のオバサンや食堂でもりもりと楽しそうに食べる人たちを見ると、”したたかさ”と”バイタリティー”に圧倒される。

そんな歴史を感じる建物を見学していると、サイゴン教会の裏手でウエディングドレスを着た花嫁と新郎が、記念写真を撮っているところに出くわした。

恋の矢この風景に出会うのは、どこの国に行っても良いものだ。パリやハワイで見た純白のドレスの花嫁さんも思い出す。

新郎が花嫁の長いドレスの裾を、かがんで直す姿も微笑ましい。

私は、それでも眺めながら思わず新郎に『幸運を祈る!』と念じた。

なにせここベトナムは、世界に知れた”かかあ天下”で有名なところ。それを証明する事件が頻繁に起こっている。とても恐ろしくて、此処では紹介できない。ガーン

お昼はどうしょうかと、歩いていると『HOANG YEN』の看板が。

なんか良さ気な感じが、ありありと音譜

ワイフに聞くと『良い!』と。これは間違いない! 見逃す手は、ない!

早速入って席に案内されると、メニューを見て間違いない、と確信。

オードブルを選び、お魚料理・お肉料理を選び、デザートで完成。しかし、

なれないメニュー、それも結構分厚いメニューなので選ぶのに時間がかかる。

ウエイターのお兄さんが、傍でじっと待っているので申し訳なくて、なんども『時間がかかりますから、待ってなくていいですよ』と言っても、ニコニコ(^-^)/して待たれたのには、本当に恐縮した。

お料理はどれも想像以上な出来栄えで、地元の方がひっきりなしに来られるところを見ると、どうやら人気店らしい。
しかし支払いの段になって、はてなマーク料理の内容と値段がどうしても釣り合いが我々は取れない!

どう取れないかと言うと、こんなに安くていいのかな~と。 計算はあっている。

なんともチグハグな心持ちではあったが、とりあえず、良いレストランを見つけられたと喜んだ。ラブラブ!

帰り道沿いに思わず、ワインショップを見つけて入ってみると、あるわ・あるわ!世界中のワインが置いててある。倉庫のような所で、エアコンが効いていて涼しい。

ワインちょっと見ただけでも判るようなエチケットもあり、ワクワク楽しませてもらった。

お値段は、日本と変りない。という事はここベトナムでは、べらぼうに高価なものになるはず。

いったい誰が、飲んでいるのか?と、歩きながら二人で、アレやコレやと言っていると・・・

右手に幼稚園らしき建物がある。その道路沿いには、車ベンツやらBMBやらレクサスやらがお止まりになっていらっしゃる。お迎えの車らしい!

外車はベトナムでは関税の関係で、ほぼ2倍のお値段だと聞いていたがお金???

なんとも、さっきのレストランの安さと、外車の列とを見ると我々は{へ~!?}としか出てこない。


「犬も歩けば棒にあたる』ごとく、てくてく歩くと{へ~!?}に当たる。

驚きやら、疑問やらを抱えながらホテルに到着。

アオザイのおねえさんから、キーをもらいお昼寝・シェスタです。

続く・・・

はじめて、他のアジア 8

お金持ちそうな白人の、なにやらけち臭い姿を避けて爆弾、またもやフロントの美しい笑顔のアオザイさんから、キーを貰いお部屋へ。

晩ご飯の相談が始まりました。

ここは世界の観光地ですから、少しだけ歩けば中華料理店・シンガポール料理店・もちろんベトナム料理店もあります。

ブラブラしていれば、なにかピンと来るお店があるだろう音譜との結論。

出かけようとして二階のフロントから下を見ると、なにやら屋台が道中に手際よく開店準備をしております。

私達の止まっているホテルの前の道は、グエンアソニン通りで、夜になると屋台街になるのだとかチョキ日本の縁日のような感じです。懐かしいようで違うもののような・・・

ユルユルとそのごったがえす中を歩いていきますと、なにやら変わった雰囲気のレストランがあります。ここはファムホンタイ通りです。目の前には大きないかにも高級ホテル然とした、ニューワールドホテル・サイゴンが見え、建ち並ぶお店は金色やら銀色のネームプレートだらけのお店たちです。

そのレストランの看板は、[VN HALAL]

この雰囲気のレストランは、ひらめき電球生まれて初めてな感じ!

二人で顔を見合わせてちょと逡巡ラブラブしましたが、思い切って入ってみます。

メニューをもらい、懸命に謎解きをしてみますと、どうやらイスラム教の方のレストランだったようです。アルコール類がありませんし、豚肉類もありません。

モノは試し、メニューを指さしながら注文しました。どうだか、だったって耳

興味のある方は、場所はすぐ分かりますのでご自分の舌で味わってくださいませナイフとフォーク
これも旅の楽しみですから、楽しみを人から奪うわけにはいきません。推理小説の結末を禁止言ってしまうようなものですからね。

食事が終わったら、屋台のおねえさん方の売り込みを、笑顔でかわしながら、もう見慣れたホテルに到着です。

湯槽に浸かりながら、
明日はどんな体験が待っているものやら・・・!?

続く・・・

はじめて、他のアジア 7

ランチタイムの後は。ワインナイフとフォークワインとベトナム惣菜を堪能してお昼寝です。

こういうのが旅の楽しみ。ツアーで効率よく観光するのも良いのですが、私は慌ただしすぎて向きません。

どうしても新幹線で飛び去る景色を、眺めているような気がしてしまうもの。

数はこなせど、なにか上っ面だけ味合うようで、むしろもったいない気がしてしまいます。

ま~楽しみ方はニコニコ人それぞれで御座いますからね。

お昼寝が終わると、持っていった地図の距離が”こんな感じ”と、計れるようになったので。次はどこにお出かけするかな?

おかしな事に、一番近くのベンタイン市場には行く気が起こりません。

『どうも、なにか悪い気が渦巻いているような気配が・・・叫び』と二人意見が一致。

タクシーの利用もなんとなく掴めたし、往きは例のごとく歩きで、疲れたら帰りはタクシーでということで、観光地図とにらめっこサーチ

お買い物デーということで、国営百貨店へ行くことに走る人走る人

ベンタイン市場の裏通りに出て、角にハイランズ・コヒーを見ながらレタイントン通りを歩いきます。すると、左手にホーチミン市人民委員会の建物のところで右折。

グエンフエ通り沿いにありました。

一階はブランド物の、時計貴金属、化粧品などが置いてあり、日本のデパートに似た雰囲気です。

二階や三階は、バッグや靴、ベトナム・シルクなどもおみやげ品にどうぞ、といった感じです。

かさ張らない、お土産をそれぞれの両親にという事で見ておりますと・・

店員さんがすかさず、日本語やら英語で勧めてくれます。どれも、値札はついておりません。

ここは、国営百貨店だからということで、少しだけ安くしてもらってお買い物。プレゼント

さらに、一画には食料品などが置いてあるスーパーがあります。

見逃す手は、ありません。目

ここでは、ベトナムでよく見るマスクがあったのでゲット。それと、旅先で要るものを少し買いました。なにせ我々は、必要最小限のものしか持ってきておりませんので。


しかしやはり、ここはベトナム。

国営百貨店だからということで、値段がマアマアかということはありませんでした。

別の日に別の場所で、売っていた同じものが、なんと4分の一のお値段。

サイゴンはスリリングな場所です。

そうは言っても、ブランド物のお高いものでない限り、日本円にすると大きな金額の差ではありません。

歩きで帰るつもりでしたが、急に雨が降ってきたのでタクシーを拾い、ホテルへ。車行き交うバイクは皆カッパ姿、用意がいいですね!


ホテルに着くと、なにやら玄関先でタクシーの運チャンと図体のデカイ白人の家族が大きな声でもめているではありませんか!

ホテルのボーイも二人心配気に、お客とタクシーの間に入っています。

ちょっとボラレたのかと思いみていると、タクシー・ドライバーのほうが白人よりすごい剣幕でなにやら言っております。

ボーイも『こりゃ、どう仕様も無いガーン』といった感じ・・・

どれだけボラレたのかと思いきや、その白人がおれて渡したのは1万ドン札。

日本円で、その日の相場は、40円です。

思わず『ご苦労な白人やな~』とショック!呟いてしまいました。

続く・・・

はじめて、他のアジア 6

 R.vang DALAT 44,000.00ドンを赤白二本お買い上げ。約一本あたり200円くらいです。

このベトナムのダラット産ワインは、いったいいどんな味わいなのかが楽しみです。

もちろん、こうなったら食料品を買ってホテルに戻って、ランチするつもりです。

興味のある物だらけですので、口に合いそうなもの、興味津々のもの、ちょっとチャレンジ気味なものと買いまくります。もちろんワイフの超得意の領域。

惣菜屋さんで,使い慣れない英語で『ディスワンANDディスワン』とゲットしております。

頼もしい限りでございました。ラブラブ!

もちろん包丁なども買い、簡易のお皿もゲットです。

レジで並びお姉さんが、テキパキと袋に入れてくれます。なが~いレシートをもらい大満足ワイン

大きな袋を抱えていますので、ホテルに帰るには歩きはさすがに無理車

入口に止まっていたVinasun taxi(ヴィナサンタクシー)に乗り一路ホテルへ。

予め用意していた、ホテル名と住所を見せると、オッケイと。ひとます安心ですが、なにせベトナム初めてのタクシー!
 
ちゃんとメーターを倒しているかなどと、心配しておりますと、アラマ~

歩き歩きして来たかいがあるというものです。

見てきた景色を進んでいるので、ホットしておりますと、到着です。

料金は3万ドンぐらい、つまり150円くらいです。

ハロウィン例の美しいアオザイの人からキーを貰い、さっそくお部屋でランチタイム

ワインはさすがにフランスが支配していたせいか、それともサイゴンの人が美食なのか、良い出来に仕上がっております。

話は外れますが、ベトナムの方はフランス人はいいけど、アメリカ人はかなり嫌いなようです。

むっ嫌いというより、野蛮な感じだとか。

それは彼らの、食事の仕方に原因があります。

アメリカが支配していた時、彼らはサイゴンのフランス料理店に来ては、お金にまかせてオーダーする事は歓迎することなのですが、その食べ方が野蛮極まるという。

綺麗に盛りつけされた料理の数々を、パンにゴチャ混ぜに挟んでは口いっぱいに頬張るという、野蛮極まる食事風景だったそうです。

この話を聞いたときは、目からウロコでした。

日本にGHQが占領していた、第二次大戦後、我々は文明国アメリカ人とラブラブ!思って来たのでは!?

この違いは、いったい何なんでしょうか?

目我々のベトナムの旅の終わる頃には、何かわかるかもしれません。ドキドキ楽しみです。

続く・・・
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