友達のアメリカ人の友達と会った時のこと。


アメリカ人の彼女はとっても日本語が上手で、
とっても日本が大好き。



そんな彼女が言った。

「日本語はとっても素敵な言葉がいっぱいあるよ」



例えば、日本人がセンチメンタルな気分の時によく使う

"切ない"
という言葉。

この感情にあった言葉が英語にはないそうな。



試しに、電子辞書でひいてみると、
"sad"
が出てきた。


彼女が言った。
「でもsadというのは、"切ない"という気持ちと全然ちがう・・・
 ただ単に、小さい子どもが悲しいーという感じ。
 全然、言葉に奥行きがない。」


なんとか、"切ない"という気持ちを表そうとおもったら、
"sad and painful(痛い)"
とか、もしくはたくさんの単語を並べて表現する。



「その単語だけで、人の感情を表す言葉が
 日本語にはたくさんあって、
 そして言葉そのものがとっても奥深いの。」



確かに、日本語はとても意味が深い。
その言葉そのものから受け取った者が創造し、
さらに頭の中に、自分のイメージを広げていくことができる。


"切ない"
辞書に提示された日本語の意味は

【圧迫されて苦しい。胸がしめつけられる思いでつらい】



切ないという感情をもった瞬間、
その裏にある背景がきっと脳裏をよぎる。
そして、きっとそのことによって、
哀しさを感じたり、なんとなく納得したり。
もの思いにふけったり。


たった一言から、自分の中でいろいろなものが広がっていく。



"舞い落ちる"
という言葉を聞くと、あたしは秋に葉っぱがくるくる回りながら
枝から地面に落ちていく様子を想像する。
その様子は、なんとももの哀しいというか、
哀愁を感じさせ、秋から冬への季節の変化を連想する。



でも、英語では"舞い落ちる"という言葉はなく、
"落ちる"という意味の"Fall"でしかない。

Fallなんて、ただ"落ちる"という意味だし、
その観点から【The falling leaves...】と
歌の一節で唄っても、なんだか、寂しさも感じない。
枝からすとんと落ちてしまう感じでしかないのだから。
すごく短絡的な感じだなぁ。。。と思ってしまった。


英語の歌を唄うとき、その単語の意味から
曲の内容を理解するといった作業は毎度しているけれど、
そこから、もっと深い部分で言葉のもつ感情や情景を
自分自身の内面とシンクロさせていかなくちゃな。
と改めて感じた。


最近、やたらと自然の姿が目に映る。
自分が感じる心が、じわじわ冬眠から覚めてきたのかな。
そういうときは、心にしっかりしまっておこう。
そう思う。



彼女との会話から、
日本語がとっても素敵な言語であることを
再確認した気持ちになった。



日本人よりも日本人らしい彼女。
最近、『いきものがかり』がお気に入りらしい。


「歌詞がとっても素敵で、切なくて。本当に大好きWハート




日本人のあたしはブラックミュージックのリズムやグルーブ感に憧れ。
アメリカ人の彼女は日本のポップスの歌詞に憧れる。




なんとなーく。
何かをまた、紡いだような一日。




かしこ。