前に入院したのは高1の冬休みにした蓄膿症の手術の2週間、医師にかかったのは社会人となった年の胃痛で、今回は44年振りである。
その上正月を病院で迎えるなんぞは、想像だに及ばぬ事ではあったが、否応なしにそうなった。
世の中には、斯様な境遇の方々も確かにいる事を思えば、それを体験しておく事も
よいかも知れない。入院患者のみならず、其処には医療関係者も要るし居るのでもある。
しかも患者は寝ていても済むが、従事者は当然ながら職務遂行なのであるから大変である。
勿論、何のイヴェントがあろう筈もないが、ここ国立大阪医療センターの大晦日の晩飯には年越しそばも付いて来て、最小限の演出が為された。
何より日頃から三食昼寝付き、一方で外出不可ゆえに、特にすべき事も無く、適宜就寝となる。
冬至から間もない正月であるから、日の出は7時頃である。何の苦労も無く初日の出の遥拜は可能である。
ここからだと南東の方角に昇るのだが、この西棟からはそちらを望む共有スペースが無く、東棟に一ヶ所それが可能な場所が想定出来た。
朝7時頃に其処へ出向くと、ご婦人が1人先客として居られ、軈てもう1人来られた。
3人で雑談をしながら待つと7時15分頃、信貴山の方向から初日の出が。「頼むでぇ」と手を合わせた。
部屋へ戻ると程なく朝飯が配膳された。
それは正月仕様で、味噌雑煮、佃煮、伊達巻き、お多福豆にみかんと牛乳、祝箸付きであった。屠蘇がないのは仕方ない。
昼になると、鯛と海老の焼き物、数の子、蒲鉾、黒豆、蕪の酢漬けに吸い物とこれまた正月仕様で、夕飯は魚、高野豆腐、根菜類の炊き合わせと大根なますにお浸し金糸和えであった。