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札幌からおよそ1時間で小樽。そこから更に余市を抜け1時間程行くと、積丹という町がある。


この町には縁があって、ライブをやらせて頂き、前職の営業の市場っ回ったりと、好きな町の一つとなった。


まだトイレがぼっとん便所の家もあり、メインストリートが、札幌の街のちょっとした中道の幅しかない。


夜は真っ暗。余市から積丹に向かうトンネルは殺人的に狭く、対向車でトラックが来ると、半ば死を考えるくらいスレスレ。


積丹の味覚祭りが年一回9月くらいにあるのだが、そこで食べる海鮮や汁物は美味しい。


今は行くことは無くなってしまったが、思い出すたびライブをしたこと、味覚祭りで酔っぱらってしまったこと、仕事の営業で一本も取れずに、真夜中海岸沿いを車で帰ったこと、積丹に当時住んでいたバンドメンバーの一人の家に泊まりに行ったこと、沢山思い出して切ない気持ちになる。住みたいとは思わないけれど、20代前半の縁あった町。
僕が住んでいる札幌市には、西区に琴似という街がある。

地下鉄の琴似駅には、お年寄りの書道サークルの展示や絵画など、アートギャラリーと称される地下通路がある。

僕は結構好きで、この手のアートギャラリーに立ち寄る事が多い。

その日も、小学生の習字のアートギャラリーに出くわした。やはり若いだけあって、エネルギーに満ち溢れた作品ばかりだった。

その中の数点をご紹介したい。
まずはこれ。



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2年つばさによる「大空」。半紙から溢れんばかりの大空。筆を目一杯紙に押し付けても、中々この太さは出せないだろう。絵の具で書いたみたいだ。「大」の字が、心なしか人が手を広げているように見える。







続いてはこちら。



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1年けいたとけんすけによるDX。
けいたの「DX」がなければ、けんすけのは、単なるぐちゃぐちゃな水墨画だ。
見る人のことを考えて貼った人の親切さが見て取れる。
けいたとけんすけが互いに活かし合っているのも、この作品の良さだ。
単なる半円と×(バツ)にも見えなくはないが、そこは見る人の判断に委ねられている点はアートなんだと思う。







最後はこちら


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2年ほそきによる、細い「太い」。
2年しょうへいによる「しめり気」。

「太い」は、習字の細い筆でも、中々この細さは出せない。習字は名詞が多い中、形容詞を選ぶ点が彼独特の感情表現として表れている。
「しめり気」は、きちんと半紙の3分の2で収まるように名前まできっちり書かれている点が、しょうへいの性格を表しているようだ。この子は、一見言葉のチョイスが人と違うように感じるが、国語のノートはきちんと右から左にかけて書く几帳面な子なんだろう。



こういう枠にとらわれない思い切りの良さが、見習わなくてはいけない部分なんだと思う。子供の感性は豊かだ。自分はどうか。「~しなければならない」「~でなければならない」という概念に囚われてはいないか。「~したい」というものを実現するためには技術が必要なのだが、それと同時に周りを意識しない表出が必要だ。



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田舎じゃなくても、冬にはこんな景色が普通に見られるのは、良いなぁと思う。