仏像を見たときに、

まず目に入るのは穏やかで慈悲に満ちたお顔かもしれません。


ですが、今日はその「頭」に注目してみたいと思います。

 

特に、「頭のてっぺんが盛り上がっている仏像」を見たことはありませんか?

それはただのデザインではなく、深い意味があるのです。

 

🔸螺髪(らほつ)とは?

仏像の頭部にある、小さな渦巻きのような髪の束。

これを「螺髪(らほつ)」といいます。


ひとつひとつが右巻きで、全部で600個ほどあるといわれることもあります。

 

これは、煩悩を断ち、清浄な智慧に到達した修行者の姿。


スッキリと整えられたこの形には、

「心が整っている人の外見は自然と美しい」というメッセージも込められています。

 

🔸肉髻(にっけい)とは?

そして今回、特に注目したいのがこの「肉髻(にくけい)」。

仏像の頭のてっぺんが盛り上がっている部分のことを指します。

 

これは「悟りを開いた者の身体的特徴」とされる

32の相(仏の身体に現れる理想的な特徴)のうちの一つで、

 

智慧が極まり、頭頂が自然に盛り上がる

 

という表現として造形されています。

つまり、修行の成果が形として表れたものがこの「肉髻」なのです。

 

🔸修行しているかは、頭を見れば分かる?

これはあまり知られていませんが、

深く本物の修行をしている方は、頭頂部が物理的に盛り上がってくることがあります。

 

昔の人は、このことを知っていました。

 

もちろん、髪を伸ばしていれば見えません。


しかし、剃髪している出家僧であれば、はっきり分かることもあります。

 

私の経験から

「この人、修行してるな」
「この人、人格が素晴らしいな」

と感じる方の多くは、頭頂が丸く盛り上がっています。

 

私自身、苦行はしていませんが、頭頂部がほんの少しだけ盛り上がりました。

ですので、頭頂部が盛り上がるのは本当の話です。

 

もっとも、頭頂部が盛り上がれば悟っているのかと言うと、話は別です。

(少なくとも、私は悟っていませんのでw)

 

ただ、真面目なお坊さんかどうかを見抜く一つの方法として、役立つかもしれません。

 

※もちろん、すべての修行者に肉体的変化が現れるとは限りません。

けれど、修行のエネルギーは、必ずどこかに現れてくるものだと私は感じています。

 

🔸修行とは何か?

修行というと、「苦しいもの」「特別な環境が必要なもの」と思われがちです。


けれど、仏教の本来の教えに照らせば、

本当の修行とは“心の整え方”そのものこと。

 

苦行(例えば、滝行、長期間の断食)は、「悟りを開く」とは関係ありません。

 

お釈迦さまは、苦行を「無駄である」と言っています。

 

修行とは、ただ「今ここにいる自分」に感謝すること。

・今、生きていること
・今、感じていること
・今、呼吸していること

これこそが、尊い修行だと考えています。

 

時には、心がネガティブになったり、怒ったりしても構わない。

それでも、自分の本質に立ち返る。

 

自分の本質とは、「幸せを感じている状態」のことです。

 

幸せを感じているのが、私たちのデフォルトなんです。

 

「苦しみ」「悲しみ」が連続の人生はデフォルトの状態ではありませんので

何かがおかしいと言えます。

 

「苦」に焦点を当てるのではなく、「空」に意識を合わせる。

 

この世は全て幻であると理解し、エネルギー体の一つである「わたし」が

今ここに、奇跡的に人間として生きている。

 

ですので、この奇跡を楽しんで幸せになりましょう!

 

それを思い出させてくれるのが、「今ここにいる自分に感謝」であり、

尊い修行だと考えています。

 

🔸仏像に込められたメッセージ

仏像とは、宇宙エネルギーを人の形に翻訳したものだと思っています。
阿弥陀如来も、観音さまも、不動明王も、薬師如来も

 

すべては、私たち自身の中にある“周波数”を可視化したもの。

 

お寺とは、そうした“自分の中にすでにある仏”を思い出すための場所です。

「仏さまを外に探す」のではなく
「自分の中の仏を思い出す」

それが、本当のお参りであり、

「今ここにいる自分に感謝」につながる

本当の修行なのかもしれません。

 

 

あなただけの美しい花を

宇宙いっぱい咲かせる日が来るのを

楽しみにしています🌹

 

Sealed with gratitude & LOVE❤️