もしかして…




逃げることは恥だと考えていますか?


  



逃げたことに罪悪感を持っていますか?





今回は、そのような苦しみを持っている方の心が少しでも軽くなって頂ければと思い、書きました。





辛かったら、逃げましょう💨





過去に、何かから逃げたことに罪悪感を持つ必要はないんです。





一人一宇宙




あなたの選択は正しかったのです。




なぜ逃げたくなるかと言うと

その状況が辛いからです。





なぜ辛いかと言うと

その状況と自分の波動が合わないからです。





辛い時、二つの選択肢が現れます。




一つ目は、その状況は「天から与えられた試練」だと受け止め、耐えた先には幸せがあると信じて、その場にとどまる選択です。





このような話は、美談になりがちです。





成功者の中には、苦労、貧乏、試練、忍耐を話にいっぱい盛り込んで、「私はこれだけ苦労したから今がある」と得意げに話す人がいます。




そして…




このような話を賞賛する人がたくさんいます。





たくさんいるので美談となり、書籍にもなり、ドラマにもなり、「苦労は買ってでもしろ」という発想が生まれ、他人に苦労を強要するようになってしまいます。





辛抱は、辛いを抱える状態




辛抱強いは、英語でPatientと言います。




そして、

Patientには、病人、患者の意味もあります。





辛いを抱えながら生きていると、病気になります。




重い病気にかかる主な原因は、自分と波動が合わないのに、辛いを抱えながら生きているからです。




それでも…




一人一宇宙の世界




No pain No gain (苦労なくして成功なし)

を信じるのであれば、その人にとっては正しい選択と言えます。





もう一つの選択は、「逃げる」です。





逃げるに対して、マイナスイメージを持っている方が多いようです。




その理由は2つあると考えられます。




1. 試練はストーカー


「試練から逃げると、更なる試練がやってくる。」




意外と、これを信じている人が多いです。




私もその一人でした。




「神は、越えられない試練は与えない。だから、逃げると、更なる試練を与える」と言う人もいます。




つまり…



要約すると…




逃げれば逃げるほど試練が変態化し、

マントを身につけた変質者ストーカーとなって、あなたを追いかけ回すと信じている訳です。





この思想の根底には、

「天は、魂の成長のために試練を与える」という思い込みがあるからだと思います。





試練から逃げると、更なる試練が与えられるので、その状況に耐える選択をしてしまいます。





でも、よく考えて頂きたいのですが、

耐える選択をしたのは恐怖心からです。




自分の本心ではありません。




波動的には、宇宙意識と大きくかけ離れています。




選択の魔法のトライアングルは、歪んだ状態になっています。





天を、どのようにとらえるかによりますが、

宇宙はこのような試練を与えません。




なぜなら、宇宙意識はニュートラルだからです。





試練を与えるのは、その人自身の心が創り出すものであり、天は関係ありません。





それから

「試練ストーカー思想」は、危険です。




これがカルマ思想と結びつくと、



「今、こんな目にあっているのは、前世で悪いことをしたからだ。もし逃げたら、もっとひどい災難が襲ってくる。だから、逃げずに過去世の罪の償いをしなければならない。」



という思想に発展します。





DV夫、虐待、酷いパワハラからは一刻も早く逃げるべきなのに、このような歪んだ思想によって、命の危険に身をさらしてしまうことにもなります。




カルマについては改めて書こうと思いますが、

「過去世の罪を償う」という考えは誤りです。




このような思想を広めている宗教の方が、

よっぽど罪だということだけお伝えしておきます。




蛇足ですが、逃げる意味の「escape 」は、



es=ex=離れる

cape=マント



から由来しています。




「マントを身にまとった変質者から離れる」から

escapeという言葉が誕生しました




かどうかは分かりませんが笑




とにかく、




試練ストーカーも過去世の罪の精算も、

人間が創作したイリュージョンということです。




2. カマキリの美学


  • 逃げるのは恥
  • 敵に背を向けるのは卑怯
  • 生き恥をさらすくらいなら死を選ぶ


このような武士道的発想から、逃げずに

「玉砕覚悟で当たって砕けろ」という思想が生まれました。




当たって砕けるのは勇敢だ、潔い、美しいと信じている人が未だにいらっしゃるようです。




カマキリは、走ってくる自動車に、

カマを振り上げて立ち向かいます。




そして…車にひかれて、あの世へと旅立ちます。




運転手はカマキリをひいたことに

気づいていません。




誰も、道路上で砕け散っているカマキリを見て勇敢だと賞賛しませんし、カマキリに美学を感じる人もいないでしょう。




もちろん、カマキリは、逃げるのは恥だから立ち向かった訳ではありません。動くものに向かっていく習性があるからです。




でも、「逃げずに当たって砕けろ」は、

カマキリの行動を賞賛し、道路上の無惨な姿を見て、美しい散り際だと褒め称えるようなものです。





カマキリの美学を信じるのは勝手ですが、

他人にその美学を押し付けないでもらいたいです。




織田信長は英傑のイメージがありますが、

あの人だって、敵に背を向けて逃げまくっていました。




恥も何も無いのです。




砕け散ったらどうしようもないのです。




カマキリの美学の原動力は、「恥」という感情です。




恥は、耳+心



耳: 他人の耳に触れる

心: 他人の耳に触れることによる羞恥心




要するに、



他人に「ええ格好しい」な人間だから、

他人の評価ばかりを気にして、逃げるのは恥だと考えているのです。(ちょっと言い過ぎかな笑)




他人の目線や評価ばかり気にしているのに、

勇敢も美学もへったくれもありません。





むしろ、試練ストーカーに立ち向かう方が、

よっぽど勇敢です。





「逃げる」は、状況に応じた行動の一つです。




これも漢字を見ると分かります。




逃の字には、「兆し」が含まれています。




逃には、他にも仲間がいます。




跳、挑、眺




1) 良い兆しの場合は、


挑んでチャンスをつかむ

跳んでチャンスに乗る




2) 悪い兆しの場合は、


逃げて災難を避ける

跳んで災難を避ける

一か八か災難に挑む



3) 良い兆しなのか、悪い兆しなのかを判断する場合は、


眺めて様子を見る




どれが正解かもなく、良し悪しもなく、卑怯でもなく、恥でもありません。





いずれも、兆しに対する単なる選択肢にすぎません。




宇宙のあらゆるものは絶えず変わっていますので、変化に合わせて自分も合わせていくのが自然です。





辛いなら逃げる

辛くなったら逃げる




そして…




自分の波動が合う場所に身を置く





辛いのに、石の上に3年も座っていたら

異臭を放って人様に迷惑をかけるだけ





貴重な人生の無駄になります。





試練ストーカーは、恐怖心によるもの

カマキリ美学は、羞恥心によるもの




どちらも、自分の本心からの選択ではありません。




偽りの選択です。





苦しい、辛い、悲しいなどの本心から

「逃げる」を選択するのとは、意味が全く違います。





今辛くて苦しんでいる方は、

逃げることも選択肢に加えて頂きたいのです。





人生、何とかなるものです。




一度、人生をリセットし、波動を整えて

新たなステージに向かう




このような選択肢もあることを

知って頂ければと思います。



いつもいつもありがとうございます🌈

Sealed with LOVE ❤️