ヴィレッジ

ホアキン・フェニックス
エイドリアン・ブロディ
ウィリアム・ハート
シガニー・ウィーバー
ナイト・シャマラン監督・脚本
周辺の町や村との交流を断ち、時間の止まったような村。
その村の周りの森には、恐ろしい怪物が住むと言う。
その怪物との契約で、村に住む人々は、この村から出ることが出来ない。
ところが、村で重傷者が出て、村の外の助けがなくては彼を救えない事態が発生、彼を救うため、彼の恋人の盲目のアイヴィーは町に向かう決心をする。
この村の秘密とは?
怪物の正体とは?
シャマランものです。
つまり、見る側はどうしたってサプライズを期待してしまう。
ものっすごく構えて見てしまう。
騙されるものか、騙されるものか、騙されるものか、騙されるものか………
そういう姿勢で見るのもだから、映画のストーリーに全然集中出来ず、そして何もかもが犯行の証拠のように見えてくる。
映画鑑賞としては正しい姿勢とは言いがたいが、シャマラン作品の鑑賞としては、至極正しい(偏見)
んでもって、見終わった後、「ほら、やっぱりね。」と勝ち誇ったように呟く。
それがシャマランを見る楽しみである。誰にも文句は言わせない。じっちゃんの名にかけて!(だったかな…古過ぎて忘れた)
とは言え、無理して驚かせなくてもいいと思う。
今回は結構無茶したな、シャマラン、とか、ちょっと冷静に考えてしまったよ。怪物の正体はあんまりじゃないだろうか。
村の所在地も結構あんまりじゃないだろうか。
なんつーか、それ故に、ヒロインは盲目でなくてはならなかったわけで…
そろそろ、サプライズじゃないシャマランを模索した方がいいかもしれない気配がするんですが、どうでしょう。
シャマランも、そうしたかったんじゃないだろうか、とか、この作品を見て思ったりしたのです。
何故この村が必要なのか、何故怪物が必要なのか、何故村を出てはいけないのか、その理由をこそ描きたかったのではないかと思うのです。
怪物とかどうでもよくて。
もしも、自分が彼らと同じ立場になったら、きっとこの村を必要だと思ったに違いないからです。
確かに、この村の周りには恐ろしい怪物がいる。<ネタバレ>それは決して着ぐるみのことではなく、それは人間そのもので、彼らはそれを具象化してあの着ぐるみを作り出したに過ぎない。
シャマランは身近で、誰か大切なものを突然亡くしたことがあるのかなあ。
役者陣もさりげに豪華ですよね。
その豪華な面々が、あくまで地味に地味に、特殊な村の特殊な雰囲気を醸し出す一翼を担う。
これってすごく贅沢なんじゃ。
シャマランものって、どんなにビッグスターが主演してても、あくまで「シャマランもの」なんですけどね、いつも。
とは言え、ブロディなど伊達にアカデミー賞獲ってないんだぜ、という存在感で、ある意味怪物より怖かった…ってか、君こそ怪物だ。
別に悪気はないし、そういうつもりも意志もなく、他人を傷つける存在っていうのが、多分一番おっかないのだ。
それから、「外」の世界も決して捨てたものじゃないんだよ、と、かの村の人には伝えたい。無責任だと自覚した上で。
んでもって、そう言っていられる自分の幸運だと思った。