業界にはびこる麻薬・競合プレゼンの使いすぎにご注意を。
http://souseki.search4search.net/2009/09/04/competition/
米マイアミのクリエイティブエージェンシーCrispin Porter + Bogusskyは、VWのアメリカのメインエージェンシーとして4年間の関係を続けてきたが、VWが他社を含めた広告会社の選択のための競合プレゼンをするにあたり、「我々は現在担当している広告主への競合プレゼンは参加しない。これはVWであっても例外ではない。VWの幸運を祈る」という声明を発表している。
(意訳)
「なんだ、その他大勢の雑魚広告屋と天秤に掛けるってことは、
俺らの素晴らしいクリエイションが気に食わねぇっつーのか?
たかがポンコツ車のメーカー風情が図に乗りやがって、上等だ。
俺らが降りた後で吠え面かくなよ、泣きついてきても知らねーぞ。
あばよ」。
というわけである。
なんですか、この毅然とした態度。
格好良すぎて卒倒しそうだ。
これは単なるクリエイティブの優劣の問題ではなく、
ブランド価値を下げまいとする涙ぐましい企業努力だ。
誰だって大手のクライアントは逃したくない。
コンペをやると言うなら精鋭を揃えて参加しなくては!
と普通の広告屋ならダボハゼの如く食いつくところだが、
プライドとポリシーを守るため敢えて手を引くという英断。
それまで4年間VWのエージェンシーだったのを
その他大勢の広告屋のひとつに格下げされたわけで、
黙ってたら自分たちの作品は凡庸だったと認めることになる。
真摯にVWの仕事に携わってきた社員たちのために、
彼らのプライドを守るべく会社は見得を切ったのだろう。
僕が社員だとしたら、これほど意気に感じることはない。
僕が昔働いていた広告屋は、電通や博報堂の犬だった。
何か芸をやれと言われたら逆立ちでも何でもした。
コンペといえば出来レースでも何でも参加したものだ。
はっきり言ってコンペなんて制作側には何のメリットも無い。
競合他社のプレゼンを見たって「その手があったか」と思うだけで、
そこから何か得られる物があるかといえば皆無に等しい。
決まり仕事だろうとコンペだろうと、
プロである限りはやれるだけのことはやる。それだけだ。
勉強させてもらおうなんて殊勝な気持ちなんて無い。
勉強するならコンペじゃなくたって他に幾らでも方法はある。
反面、クライアント側のメリットは大きい。
複数のプレゼンの中から選べるのは勿論のこと、
落とした中からアイデアだけパクったりなんて平気でやる。
見積コンペも兼ねてたりするから足元を見て交渉できる。
こと現場においては業界倫理もクソもない。
僕が経験した酷いのになると、
採用された会社はクライアントの担当者の縁戚関係だった。
プレゼンフィーなんて出なくて当たり前。
下請けは奴隷も同然なのだと当時つくづく思ったものだ。
普通のまともなコンペにしたって、
本当に良いものが採用されるとは限らない。
殆どの場合はクライアント側の好みとか都合で決まるのだ。
以下は著名なコピーライター仲畑貴志氏の言葉だ。
本来、ターゲットである消費者の心を奪う意図でこさえられるべき広告が、クライアントがターゲットとなり、クライアントの心を奪う目的でこさえられたとしたら、良い結果は得られない。ターゲットに向くべきベクトルが、発信者であるクライアントに向くという、完全に転倒した広告表現が効果を生まないのは当然である。
広告制作者が疲弊している。かたちにならない競合プレゼンテーションが連続しているからだという。毎年、制作者を変えるようでは商品もすこやかに育たない。子供の育成を考えてみても、年ごとに育てる人物が変わるような環境では、その子はすこやかに育つわけがない。それに、だいいち不幸ではないか。
激しく同意。
まぁこういった意見の有無に関係なく、
僕自身はもう10年近く前からコンペには参加しない主義だけど。
コンペを開催する目的が
『より広くより多くの知恵を求めて、
より新鮮で効果的な広告戦術を得ようとすることと、
同じ組織とつづけることによる馴れ合いを防ぐため。』
であるならば、その手段は別にコンペじゃなくたっていいのだ。
ン十年前ならいざ知らず、情報が溢れ返る今のご時勢なら
本気で調べれば腕利きのクリエイターを見つけるのはそう難しくない。
そういう努力ができない会社から潰れていくのだと断言しよう。