インスタントジョンソン じゃいオフィシャルブログ『マルいアタマをぐちゃぐちゃにする』powered by Ameba -201ページ目

太陽の塔

1970年に大阪万博で芸術家の岡本太郎氏が作った作品だ。



この作品には様々なメッセージが隠されているらしい。



芸術というのは特別な存在だ。



絵画、彫刻、オブジェ、音楽・・・



生活に必要な必需品では決してない。



そのくせ、とんでもない値を付ける。



バブル期にはゴッホのひまわりが60億円。



一生生活出来るどころじゃない金額だ。



ハッキリ言って、僕にはその価値は見出だせない。



どんなにいい作品だとしても、大金を出す気にはなれない。



何故か?



その作品の良さが分からないからだ。



きっと、絵を描く人や芸術に肥えてる人には分かるのだろう。



天才には天才を見抜く人が必要なのだ。



だから、死んでから讃えられる人も少なくないのだろう。



さて、ではお笑いは芸術か?



まあ芸術だと思う。



ただ、芸術という言い方をしてしまうと、



「この笑いが分からないの?」



「~のコントは芸術だ!」


なんて言う人が出てくる。


「はぁ?」



って思う。



芸術なんて見る人が楽しめればいいんだ。



面白さなんて、人に強要するものでもないし、



笑えるかどうかでいいんだ。



「~の面白さが分からない」



「~のどこが面白いの?誰か教えて?」



まあ視聴者なんだから、好き勝手言うだろうな。



でも、人に教えて貰って分かるものかは疑問だ。



その人は笑わなかった。



それでいい。



それでも、やはり芸術だとは思う。



オリジナルで作り出した作品であって、



そこには色んなメッセージが隠されていたりする。



自分でも「いい作品だ!」


と思うときがある。



ウケるかどうかは別にして。



ただこれは作り手の趣で、見ている人は何となく見て、何となく笑えばいい。



作り手がいいコントだと思っても、ウケなきゃ駄作だ。



ただ、いい作品は何度見ても笑えたりする。



深みのあるコントや漫才は飽きなかったりする。



「インジョンさんのコントって何度見ても笑えるんです」



最高の褒め言葉だ。



まあそれでも限界はあるけどね。



いつか、お笑い美術館みたいなものが出来て、



観光客がコントや漫才を観ながら館内を回る。



「この作品私好きなの」



「この作品はついつい見入ってしまうなぁ」



なんてことにならないだろうか?



インジョン展なるものが出来、



うちらのコントを観ながら美術館を回るなんてことがあるだろうか?



うちらが死んでから、うちらのコントが認められ、60億で売れたりしないだろうか?



ないない!

悲劇

僕の友達が二度と歩けない体になった。



車に轢かれ、生存は不可能とまで言われたが、



奇跡的に一命は取り留めた。



まだ人生の半分もいっていない、若い可愛い女性だ。


僕自身が友人の事故の現実を受け入れられないのだから、



本人はもっとだろう。



「死にたい」というメールが来た。



僕は「嫌だ!」としか返せなかった。



彼女を笑わせたいが、今はそんな自信はない。



「じゃいが明日から歩けなくなったらどうする?」



彼女からの質問に



「ネタでも書くかな」



と答えた。



本心だろうか?



いや、軽はずみな答えだ。


体験してないから、



自分の身に降り懸かってないから、



100%の答えは出来るはずはない。



でも、なるべくリアルに考えてみよう!



100%じゃないにしろ、



出来る限りリアルに。





昨日、僕は車に跳ねられた。



奇跡的に一命は取り留めたものの、一生歩けない体になってしまった。



車椅子生活を余儀なくされる。



その事実を手術後に親に聞かされたとき、



目の前が真っ白になった。


思考が再開するまでにどれくらいの時間を要しただろう?



この身体になってみて、今までの生活を考えてみた。


恐ろしいほど何も出来ないと思った。



車椅子に乗って舞台に上がれるのか?



コント番組に出れるのか?


恐らく、今までのネタは出来ないだろう。



第一、車椅子の男のやっていることを笑ってくれるのか?



同情は笑いにならない。



憐れみは笑いにならない。


考えれば、考えるほど、自分を轢いた男への憎しみが膨れ上がる。



許せない!



お前も同じ目に合わせてやろうか!



そんな邪心が生まれる。



前向きに生きよう!



ポジティブに考えよう!



そう自分に言い聞かせても、どっかで卑屈が顔を出してくる。



不思議と死のうという選択肢はなかった。




僕はインスタントジョンソンを辞めた。



二人は引き留めてくれたが、



さすがに足を引っ張るだろう。



座付き作家?



ははっ、確かに合ってるかもね。



ただ、僕は生で笑い声が聞きたいのだ!



一人で芸人を続けた。



みんなの励ましの声は僕に勇気をくれたが、こんなんじゃウケない。



応援してくれても、ウケない。



舞台に立っても、客席は重い空気が流れている。



可哀相だと思われてるだけだ。



芸人を辞めようかと思った。



一人の先輩に相談をしてみた。



その先輩はあっけらかんと


「ウケるわけないじゃん!」



「やっぱり、車椅子じゃ・・・」



「ちげーよ!お前が車椅子を特別だと思ってるからだよ」



「?」



「車椅子なんか、ハゲとかチビと変わらねぇ!って言ってんだよ!」



「・・・・」



「ハンデをハンデと思ってる奴のことなんか誰も笑ってくれねぇよ!」



涙が出た。



考えてみれば、足が使えないだけじゃん!



脳みそも正常だし、声も出る。



目も見えるし、耳も聞こえる。



お笑いに何の支障もない!


今思えば、俺のこと轢いた奴に同情する。



他人の人生をめちゃくちゃにしたという罪悪感を背負って生きていかないといけないのだ。



慰謝料だってハンパない。


車椅子芸人として、俺は吹っ切れた。



「苦手なスポーツはサッカーです」



と言うと、客が笑った。



「こないだ、お年寄りに席を譲りました!」



と言うと、客が笑った。



笑ってくれたんじゃない。


笑わせたんだ。



車椅子芸人として認知されるようになった。



そりゃあそうだ、他にいないんだから。



アンビリーバボーなどドキュメント番組の依頼もあったが、断った。



泣かせるつもりはない。



車椅子の方や、障害者の方から



「勇気付けられました」



「応援してます」



「僕らの代表です」



などの手紙が事務所に送られてくる。



いやいや、こんなのハンデじゃないから。



そりゃあたまに、足が使えたらなぁって思うこともある。



でも、足が使えてたら今の自分はいないとも思う。



神様がいるのか?いないのか?は分からないが、



試練なのか?プレゼントなのか?分からないが、



全てを受け入れて前に進まなきゃいけないのだ。



車椅子の人に限らず、全ての人がそうなんだ。





・・・・・





これも想像でしかない。



都合のいい想像かもしれない。



でも悲劇なんて劇なんだから



自分でハッピーエンドに



コメディーに



シナリオを変えちゃえばいいのさ。

パフューム

を踊る



土田晃之氏



可愛いドキドキ



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