ドラマの始まりには京町屋の甍が画面いっぱい大海原のように広がっています。


所は四条富小路。


一軒の町屋の屋根の上で

中川大志さん演じる若き日の円山応挙が
遠メガネを使って八坂神社の方を覗いて

写生をしています。


その絵からの〜〜
劇画風の似顔絵似姿で登場人物を紹介する
タイトルバックへ。
 

とても凝ってる!
ワクワクさせられます。


後の伊藤若冲こと枡屋源左衛門は
錦小路高倉にある青物問屋の四代目。
一旦は家業を継ぐものの、
絵を描きたいという情熱が抑えられず
40才になると家督を弟に譲って
絵を描くことに専念するようになる
…というのは、
私も以前から知っていた伊藤若冲の略歴でした。


このドラマでは
江戸中期の京都の町に
いかに若い才能ある芸術家たちが集まっていたか
ということも描かれています。

円山応挙だけでなく池大雅やその妻などが
仲良く集い或いはライバルとして競い合って
いるのです。



そんな中でも
裕福であった若冲は高価な絵の具を
容易に使うことができて、
お金のために絵を描くという必要もありません。


しかしただのお金持ちの道楽では終わらせなかったのが、
人を惹きつけて止まない、
若冲の突出した画力とユニークな発想。


相国寺の禅僧だった大典顕常という 
後には相国寺の住職になられる人物。

自身も詩人でありながら片や画家などの才能を発掘することにも尽力したようです。

どのように2人が出会ったのかは想像の範疇と思われますが、
史実として2人に交流があったことは確かなようです。

現在の相国寺 承天閣美術館には若冲作品が多数収蔵されていて
私は何度か見に行く機会がありましたが、
この大典という方が若冲と相国寺を繋いでいたのだということは初めて知りました。


大変有名な若冲の作品群、
「動植綵絵」も大典に勧められて
相国寺に奉納するために描かれたのではないかと言われています。



(目をみはる伊藤若冲の「動植綵絵」小学館アートセレクション狩野博幸著)


ドラマでは若冲と大典の友情を超えた?
関係が描かれていて、
いろいろと想像をかき立てられます☺️

若冲は妻や子を持たなかったということは
知られています。

私が8ヶ月住んでいた三条河原町の近くの
裏寺町通にある宝蔵寺は伊藤家の菩提寺で
若冲によって建てられた父母と末弟の墓石が
あります。


そちらにお参りさせていただいた時、
若冲は家族を大事にしたのだろうなと
思ったのですが…

ドラマ内でも若冲の無二の理解者として描かれた
大典さんの存在を知って
絵を描くことだけに生涯を捧げた、と言っても
孤独ではなかったのかもしれないな
となんだか勝手にホッとしたのでした。