先週放送された歴史秘話ヒストリアは法隆寺1400年の秘密。

創建当時のことから現在までの時間を追ってその時々のトピックを解説していました。
(NHKホームページより)

1400年の間に何度となくあった法隆寺存亡の危機。
 
創建されたといわれている聖徳太子が亡くなった後に政争に巻き込まれ?伽藍全体が焼け落ちたことが最初の危機でした。
 
幸いその後再建されて聖武天皇、光明皇后の時代からは手厚く保護されたそうです。
 (法隆寺五重塔。2014年6月に撮影)

その後の最大の危機は明治時代の神仏分離政策の時。
打ち壊された多くの仏教寺院と同様、法隆寺も荒れ果て多くの文化財が散逸寸前となりました。
 
その時の救世主となったのはアメリカ人美術史家フェノロサとその通訳をしていた岡倉天心であったそうです。
美術行政に携わった岡倉天心が日本伝統の文化財の価値を見直すことを強く提言。
 
法隆寺も国の助成等の保護を受けられるようになったのです。
 
ところが昭和24年の失火によって金堂が消失。絶望的な損失ですね。
 
しかしその時は西岡常一をはじめとする多くの宮大工たちの奮闘によって再建がなされました。
 (法隆寺金堂。こちらも2014年6月撮影)

その宮大工の技術の継承が今も行われている(行われなければならない)と番組は結ばれます。
(来週の歴史秘話ヒストリアは「薬師寺 千三百年の祈り」です) 

そして現在、消失してしまった金堂内部の壁に描かれていた幻の壁画の再現の試みが様々な研究者によって行われていることも紹介されました。
 
その元になっているのが、金堂消失の前に奇跡的に撮影されてガラス板に残されていた壁画の画像です。
 
そのガラス板を見て「あっ、便利堂さんだ!」っとすぐに気がつきました。
 
番組ではそのガラス板を紹介したのが、印刷会社文化財撮影技師となっていましたが、そちらの会社が京都の便利堂なんです。(番組エンディングで会社名が流れました)
 
私は幸いにも、京都御所の西にある便利堂の工房で、金堂壁画の原寸大複製を見せてもらいましたし、京都文化博物館で金堂内部を再現した展示も見ました〜
 
京都に長期滞在中、期せずして便利堂が非常に稀少で歴史のある印刷技法コロタイプ印刷を継承している数少ない会社であることも知ったのです。
 
コロタイプって何?
全く聞いたこともなかったのですが、長期滞在のおかげでこの印刷技法を知って、半年後にはワークショップにも参加するようになりましたー
 
次は便利堂さんとの出会いから書きたいと思います。