大河ドラマ「麒麟がくる」が始まって第二回まで放送されました。

今は主人公の明智光秀が斎藤道三の家臣の1人として描かれていますね。
 
光秀は38才より以前のことが謎とされているそうなので、作家さんの想像に任されていて、ある程度光秀の前半生は自由に創作できるようです。
 
とはいえ岐阜界隈は盛り上がっていることでしょうねー
 
高校時代に司馬遼太郎さんの「国盗り物語」を読んで数年後には、斎藤道三の所縁の場所巡りをしましたので、岐阜城には数十年前😅に登っております。
道三の時代には稲葉山城と呼ばれていましたので、私もそう呼んでいました〜
復元された天守閣ではありますが、かなり急峻な金華山の山頂に建てられたお城は圧巻の眺めだったのを覚えています。
ロープウェイが設置されていて助かりましたー
 
まだ大河には登場してない織田信長が後々斎藤義龍から奪い取り、名を岐阜城に変えました。だから岐阜県は織田信長が決めた(選んだ)名前ですねーカッコいい〜〜
 
斎藤道三の国盗りの最初の拠点となった常在寺にも行きました〜
(その時の拝観券をまだ持ってました!😅) 

でも現在では斎藤道三の父親が油売りをしていたというのが定説で、国盗り物語の斎藤道三が油売りから一国の城主までのし上がっていったという下克上ストーリーは実は父子2人で成し遂げたことであったというのが史実に近いといわれているそうですけどねー
(私は史実云々よりも司馬遼太郎の描いた庄九郎様がカッコいいと未だに思っておりますが…)
 
さて、以前安土城跡に行ったことを書いたのですが、今回は安土にある博物館のことも少し。
 
城跡に行った時は電車と徒歩でしたので、足を伸ばせなかったのでした。
 
が昨年3月、西国巡礼33所のひとつ観音正寺という安土駅にも近い山寺へ行くためにレンタカーを借りました。 
 
そしてお寺にお詣りの後、せっかくなので博物館などにも寄ることにしました。
 
滋賀県立安土城考古博物館は安土城に関する発掘調査や歴史研究を主に展示しているなかなか立派な建物の博物館です。
(最近では公立の美術館、博物館はホントに立派ですねー)
 
私が1番印象的だったのは壁の一面に織田信長の様々に描かれた肖像や肖像画が並べられていたところでした。
1番よく見かけるのは長興寺で所蔵されているこちらでしょうか?
ちょっと高貴な感じの優男?
私の中のイメージもこの肖像画の信長が基になって出来上がっていました。
 
ところが宣教師によって描かれたといわれている肖像画↓(三宝寺所蔵)は、ある文献によると織田宗家で1番信長本人に近いと伝えられているそうです。
さすが西洋画の描き方は写実的ですから、こちらが信長本人に近いとしたら…いろいろと衝撃です。
 
大河ドラマ放送前の「50ボイス」という番組では信長役の染谷将太さんが自分のイメージではないけどのようなことをご自身で言ってましたが、ドラマではいろんな信長がいてもいいですからねー
 
49才本能寺の変をどのように演じられるのか楽しみです。