あたしが平和に幸せを感じて生きたのって
生まれてからたった8年間
実際の記憶を差っ引くと5年くらい
それにプラス、今の約2年
だいたい40年を
なかなかの暗黒で過ごしてきたんだと思ったら
我ながら、泣けてきたよね
人様に話すような事ではないし
こういう場で人生さらしてどうすんのよ?と
思う自分もいるんだけど
人生の折り返し地点も、たぶん過ぎて
自分の中で熟されていった
悲しみだとか辛さだとかを
解放したい気持ちも強くてね
思い切って
世界規模(笑)でさらしちゃう事にした
ほんとはあんま読んで欲しくないww
でも、もし読んでしまった誰かに
何か届いたら嬉しいな
昭和の高度経済成長期に
元米国兵という特殊なキャリアを持つ
自由すぎる会社員の父(日本人)と
米軍基地勤務で当時は珍しいバリキャリな
今思うと何かしらの人格障害じゃね?な母
この晩婚な夫婦の間に
長女として生まれたひとりっ子
たぶん、暮らし向きはそれなりに裕福で
割と贅沢に育ったと思う
「晩婚の子だからと恥ずかしくないように」
「ひとりっ子だからと悪口を言われないように」
の大義名分のもと
母親はかなり支配的だったが
それに気づくのはもう少し先
ひとりっ子であるとか親のポジションとか
あたしが可愛いとかあたしが可愛いとか
(大事なことだから2回言ったww)
色んな要素がからまり合い
蝶よ花よとチヤホヤされて育つ反面
泣き虫だからとお友達からはいじられ
ちょっと辛くなり始めるのが、たぶん4歳ぐらい
そんなちょっとした辛さを味わいながらも
小学2年までは平和な子供時代を送る
「うちのお母さん
みんなのお家のお母さんとなんか違うかも⁉︎」
と、違和感を感じ始めたのはこの頃
小学3年で
バリバリ日教組の暴力教師に当たってしまったり
母親の支配に気づいてしまってもがき始めたり
お友達からのいじりをいじめと感じるようになって
人生ハードモードに転ずる
支配的な母は
娘の反抗期を受け入れられなかったのかもしれない
いじめや担任の理不尽に耐えられず
身体症状が出ても
熱がない限りは学校に行かされ
母に相談しても無駄なんだと悟り、絶望する
9歳にして
「お母さんが死んだら、すごく嬉しいよね」
という答えを持っていて
周囲からはますますドン引かれる
嫌われ者スパイラルにはまって身動きが取れなくなっていく
勉強は、偏りがありながらも
それなりにできる事がほとんどだったけど
集団生活にはとことん馴染めず
とにかく学校は辛くて
中学卒業記念のスキー旅行は
「本当に卒業を祝ってくれる気があるのなら
スキーに行かなくていいって認めてくれ」
と泣いて訴えて行かなかった
両想いのはずの彼氏にさえ
誰にも心を開くことのなかった
暗黒の義務教育時代だった
ぢぇにぃの経歴〜2に続く
(いつアップかはまだ知らない(笑))