前略、、、

 

    【一句】

 

 

       ❝ 成り済ます

 

 

 

         内なる他者

 

 

 

             迷妄や ❞

 

 

 

                匆々

 

 

 

 

 

 

 

追伸、、、【ピエドラ川のほとりで私は泣いた】著者:パウロ・コエーリョ

                      訳者:山川 紘矢山川亜希子

 

 

 

修道士である幼なじみが、主人公である女性に旅の途中で、あるストーリーの一部を語る場面がある,,,,,

 

 

 

 

 

『 一人の男が旧友に出会った。なぜか、これまで一度も人生をうまくやってゆくことができずにいた旧友だった。

 

「彼にお金をいくらかあげた方がいいな」と彼は考えた。しかし実は、この旧友は金持ちになっていて、何年も返せずにいた借金を変えそうと、自分を探しているところだとわかった。

 

 二人は、昔一緒によく行ったバルに行った。旧友はそこにいた全員に飲みものを振る舞った。なぜそんなに成功したのかと、みんなが彼にたずねた。すると彼は、自分はほんの何日か前まで、” 他者 “を演じて生きていたのだと言った。

 

「他者って何者ですか?」とみんながたずねた。

 

「他者とは私に、私自身ではなく他のものであらねばならないと教えていた存在のことです。年とった時に飢え死にしないですむように、できるだけたくさんのお金をためるにはどうすればよいかを考えるのが我々の義務だと、他者は信じているのです。だから、私たちはいつもお金を稼ぐ計画ばかりを考えていて、その結果、地上で過ごす日がほとんど終わってしまった時になって、やっと自分が生きていることに気がつきます。でも、その時にはもう遅すぎるのです」

 

「そして、今、あなたは誰なのですか?」

 

「私は自分の心に耳を傾ける人、つまり人生の神秘に魅入られた者の一人にすぎません。つまり、奇蹟を信じ、奇蹟が引き起こす喜びと情熱を味わっている者です。失望することを恐れ、私たちを動けなくしているのは、他者に他なりません」

 

「でも、人生には苦しみがあるのでは?」と聞いていたうちの一人が言った。

 

「それに敗北もあります。それを避けることは誰にもできません。でも自分が何のために戦っているのか知りもせずに負けるよりは、自分の夢を実現するために戦いのいくつかを失う方がずっと良いのです」

 

「それだけですか?」ともう一人が聴いた。

 

「そうです。それだけです。このことを学んだ時、私はこれまでずっと自分がなりたかった人になることができました。他者は私の部屋の隅っこに立って私を見ています。でも、私は決して他者を私の中に入らせるつもりはありません。他者は、将来のことを考えないのは危険だぞ、と私に警告して、私をいつも脅してはいますがね。

 

                              自分の人生から他者を追放した瞬間から、

                         神聖なるエネルギーが奇蹟を行い始めたのです」』

 

 

 

 

 

 

 

 

  ー 引用の為、文章等の抜粋掲載をさせて頂きました ー

 

 

 

                           god  bless  us十字架