職場のことで怒って、墓掃除行って怒って、怒りっぱなしだけど、何事もなかったように黙ってるのは良くないね。
ブログでぶちまけるだけじゃあね。スミマセン
今日は、気分転換かねて?、お墓掃除に行った。
もともと、本格的に寒くなる前に行こうと思っていた。
夏みたいに早起きしなくて良いから、無理なく行けた。蚊もいないので持ち物も少ない。
実際は蚊がいて刺されたけど。
3回に一度は、ライターと数珠を忘れる。
今日も忘れて、線香は上げずにお花を供えて手を合わせた。
形って、意味ないと思う。お墓すら、要らないと思う。
母の一周忌も初盆も、具合が悪くてできなかった。
私が無職で、毒姉が自分は仕事で疲れてるのにと怒って、「初盆はしない」と言い出し、どうしようもなかった。
後で親戚から、母の友人が、一周忌や初盆の法要がなかったことに対して、私たち姉妹のことを呆れていたと聞かされた。
身内の法要をかかさずしていた母なので、母のためにできなくて申し訳ないとは思った。
でも、母を思い出してあげることが供養だろうと思う。
わざわざ殆ど会ったことのない家族を訪問して、仏壇の前で手を合わせなくても良い。
ご仏前をもらったり、お返ししたり、それが供養だとも思わない。
そういうことは、遺族に対する体裁だよね。本人の供養になるとは思わない。
お墓はオープンなので、何かに手を合わしたければ、勝手にお墓参りすれば良いと思う。
なんなら、生前母がいつも気にかけていた墓掃除をしてあげれば、供養になると思う。
法要という形にこだわって、人の事情も知らずに批判する人達って、なんなんだろうと思った。
母がいなくなれば、母の友人とも縁が切れて当然だと思う。私の友人でも知人でもない。
でももしかしたら、そういう儀式的なことは、残った人達のご縁をつなぐためのものなのかもね。
仏教は、やたらと「ご縁、ご縁」言うしね。
私は、それをする気力がなかったし、今もない。
お墓掃除へ行く時に、いつも母と一緒に行っていたパン屋に寄った。
私は車に乗れないので、最近はバスで通り過ぎるだけだった。
久しぶりだったので、去年母が他界したことを店の人に話したら、ダーッと涙が出てきた。
母が亡くなってから、母のことを思わない日は一日だってない。
お墓へ行かなくても、仏壇の前に座らなくても、いつも母のこと思っている。
母と同世代のお寺の住職も今年亡くなったので、もう法要はしない。
住職は母の幼馴染なので、読経に気持ちがこもっているのを感じることができた。
私も毒姉も独身なので、いつか墓じまいしなきゃなと思ってたけど、別に家賃が滞るわけじゃないし、どうでも良いかとも思う。
長男である母の弟は、嫁が墓掃除を嫌がり、よその納骨堂を契約した。
すごい財産を相続した祖父の妹は、嫁に行ってから墓掃除をしない。自分の親の遺骨も納めてあるのに。
みんな、やりたくないことを人に押し付けて、好き勝手やってる。
お墓掃除に行くたびに、こういうことを思い出して、ものすごく腹が立つ。
墓の敷地が異様に広いので、ここに小屋を建てて住んでやろうかとも思う。
悔しいので、玄米おはぎ買って食べた
コスモスが可愛かった
コスモスも色んな種類がある
お花は静かでかわいいね
毎日、お疲れ様です 有難うございます