アレクサンドリア・オカシオ・コルテス
写真提供:米国下院 [パブリックドメイン]
「フラットに考える」。
私は、この言葉の意味を
「どちらかの考えに傾くこと無く、真ん中の立場で考えること」という意味で使っています。
言うのは簡単ですが、行うのはむずかしいです。
なので、「そうありたい」という願望を含んでいます。
アメリカ、ユタ州の大学でのイヴェントが行われていた時の起こった
チャーリー・カーク銃撃事件についてどう考えるか?
アメリカに行ったこともなければ
アメリカで暮らしたこともない私には
この悲惨な事件について
特に言及しようとは思いません。
ましてや、このことで政治思想的な議論をしようとも思いません。
冒頭の写真の女性は
アレクサンドリア・オカシオ・コルテス (Alexandria Ocasio-Cortez)
ニューヨーク州の米国下院議員で民主党党員です。
彼女が X(旧 Twitter)に、このように投稿しました。
[訳: 誤訳の際はご容赦ください]
私たちはチャーリー・カークが何者であったかを明確にすべきです。
彼は、黒人アメリカ人に投票権を与えた公民権法は「間違い」だと信じ、
ポール・ペロシへの暴力的な攻撃の後には
「どこかの素晴らしい愛国者」が彼の暴行者を保釈すべきだと主張し、
ユダヤ人が「大学だけでなく、
非営利団体、映画、ハリウッド、そのすべて」を支配していると非難した人物です。
彼のレトリック [1] と信念は無知であり、何百万人ものアメリカ人の権利を奪おうとするものでした。
この決議における多数派が主張するように、
「団結を促進するためにたゆまぬ努力をした」とはかけ離れています。
私たちは、これらの考えを高めることなく、
彼の恐ろしい暗殺と政治的暴力の災いを非難することができます。
[ここまで]
[1] レトリック
1, 事を伝える際、言い回しを工夫することによっての相手の感情に訴えかける方法
2, 別の意味で、実質を伴わない、表現上だけの言葉を指す場合もある
この投稿から要点を拾い上げると
1, アレクサンドリアは、チャーリー・カークの暗殺という政治的暴力を非難する一方で、
彼の過去の言動を考慮し、彼を美化する動きに警鐘を鳴らした。
2, アレクサンドリアは、カークが公民権法を非難し、
ポール・ペロシの襲撃犯を擁護し、
アメリカ文化におけるユダヤ人の影響について扇動的な主張を行ったことを指摘した。
うーん。X の投稿文字数の都合か、
X は、短文で意見を呟くものだからか、
シンプル過ぎて、私には上記の要点だけが理解できました。
もう少し、詳細な記事を探してみました。
■ What Hasan Piker Told His Millions of Followers After Charlie Kirk Was Shot
チャーリー・カーク銃撃事件後、ハサン・ピケルが数百万人のフォロワーに語ったこと
この人は銃撃犯ではありません。
ハサン・ピケル (Hasan Piker)。
トルコ系アメリカ人の政治評論家、ストリーマー、YouTubeパーソナリティ。
政治、ニュース、文化に関する解説を配信しています。
民主社会主義者、左翼、進歩主義者として知られています。
いかなる政党にも所属していません。彼は独立した政治評論家です。
実は、彼はカークと個人的に面識があり、2週間後には「若者と政治」について討論する予定でした。
全文を転載することは、著作権に触れるので
またまた、要点を拾い上げます。
1, ピケルは、カークが銃撃されたことに衝撃を受けたと語っています。
カークの死後、ピケル自身にも殺害予告が届き始めたと言っています。
2, ピケルは、米国における「分散型暴力」[2] の新時代の到来を懸念しています。
3, ピケルは、民主主義的制度が機能不全に陥ると、
人々は不満を募らせ、政治的暴力に走る可能性があると指摘しています。
4, 彼は、カークとの討論は、真実を追求するためではなく、
イデオロギー上の対立者を屈辱を与えるためのものだったと考えてます。
5, ピケルは、社会の傷が癒されなければ、政治的暴力は今後も増加する可能性があると警告しています。
彼は、政治的対立の激化、構造的暴力、経済的困窮が、人々の不満と怒りを増幅させていると指摘します。
6, ピケルは、インターネット上の匿名性が、人々の残酷さを助長していると語る。
7, 彼は、カークがZ世代に共感されたのは、
ジョー・バイデン政権に対する不満、経済的希望の欠如、住宅や教育費の高騰などが原因だと分析しています。
8, ピケルは、最良のシナリオは包括的な銃規制だが、
最悪のシナリオは、Twitterのようなオンライン上の怒りが現実世界に波及し、
政治的迫害や分散型暴力につながることだと述べています。
[2] アメリカにおける分散型暴力 (Distributed violence)
個人が自らの暴力手段によって国家権力に抵抗する能力を有するという概念を指す。
■ 私の感想
表題の「フラットに考える」ことがむずかしいと思うのは、
「何故、そうなった?」
「何が原因だと考えられるのか?」
このことについて、一個人が調べるのには、限界があります。
しかし、安易に他人の意見に感化されないで
冷静に考えてみることが、私にとっては大切なのです。
なんだか、暗くて小難しい話で疲れました。
では、休憩しましょう。
お口直しに、どうぞ。
ReoNa - ネリヤカナヤ ~美ら奄美~