Ralf RuppertによるPixabayからの画像
あー、暑い。
昼間は、ほんまに暑い。
頭から蒸気吹き上げて、「ポン!」という音とともに
気を失いそうになります。
まぁ、夜中は涼しいので助かっていますますが。
さて、8月は歴史的に重い出来事を思い起こす月のように思います。
1,広島・長崎への原爆投下。
2,日本の敗戦。
そして、年に一度の「先祖の霊をお迎えするお盆」の月。
こういう8月は、普段は考えもしないことを考えてしまいます。
今回は、ズバリ!
「日本(にほん、いや、にっぽん)について、
今一度、考えてみました。
ただし、動画での話は、私の「ボケ防止」「脳トレ」、そいて「趣味」としての
「文字起こし」を行って、文字化・文章化をして
文脈や要点について考えました。
では、ひとつ目。こちらの動画。
文部科学省は日本を滅ぼしたいのか?
皇學館大学特別教授・松浦光修
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投稿日時
日本標準時: 2025/08/06 (水) 19:06:00
協定世界時: 2025/08/06 (Wed) 10:06:00
タイトル 【文部科学省は日本を滅ぼしたいのか?】(ひこばえTV 第13回) #松浦光修 #ひこばえ
チャンネル名 ひこばえTV 【松浦光修 公式】
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話の中心は、日本の教育現場、特に大学における英語やカタカナ語の氾濫に対する強い懸念になっています。
松浦氏は、シラバス、カリキュラム、セメスターなど、数多くの英語・カタカナ語を列挙し、
その過剰使用が日本の文化・言語の浸食、つまり「文化的侵略」につながると危惧しています。
単なる英語使用の批判ではなく、日本語の軽視、ひいては日本文化の喪失への危機感に基づいている点が重要です。
松浦教授は、明治時代の初代文部大臣・森有礼の「日本語廃止論」を引き合いに出しています。
現在の状況が歴史的に根付いた問題であると論じています。
著名なミュージシャンである山下達郎氏のラジオ番組から、山下達郎氏の発言を引用しています。
「日本語で言えよ」という部分です。
山下達郎氏は英語の歌もたくさん歌っていますが、
極めて日本語を大切にしています。
松浦教授は、文部科学省が、日本語軽視、
ひいては日本の文化・アイデンティティの喪失を招くような政策を進めているという
強い疑念を示しています。
「反日自虐史観」への言及も、文部科学省への批判をさらに強めています。
『従って、私たちが今すぐできる国防、
今すぐしなければならない国防とは、
まずは私たちの身の周りで私たちの国語を守るということではないかと思います。
何しろ「祖国とは国語」なのですから。』
というメッセージで締めくくっています。
松浦 光修(まつうら みつのぶ)教授は、
日本の歴史学者。皇學館大学文学部国史学科教授です。
日本(日本語)について考えることが、このようにも専門的なことのように思ってしまいそうです。
但し、研究者としての松浦教授は、当然、専門的です。
しかし、意外にも、そうでもなさそうな事例もあります。
それが、ふたつ目の動画です。
この動画は、以前にも私のブログで取り上げたことがあります。
【完全バイリンガル、その怖さ】第一言語が二つあることって、果たして人生を輝かしいものにしてくれるのか?サンフランシスコに40年住んだ経験より、思うことを述べて
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投稿日時
日本標準時: 2023/09/12 (火) 06:50:28
協定世界時: 2023/09/11 (Mon) 21:50:28
タイトル 【完全バイリンガル、その怖さ】第一言語が二つあることって、果たして人生を輝かしいものにしてくれるのか?サンフランシスコに40年住んだ経験より、思うことを述べてみよう。
チャンネル名 桑港たかし / Takashi Soko
https://youtu.be/lXAS4IJDuBM
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自身は完全バイリンガルではないと言ってます。
これは、長年アメリカに住んでいても、
日本語に対する愛着や、日本語で考える習慣が残っていることを意味しています。
完全バイリンガルであることの「怖さ」について語っています。
日本語と英語、そしてそれぞれの文化の間で常に切り替えを強いられるため、
精神的な混乱や脳の機能に悪影響を及ぼす可能性があると考えています。
また、その実例を紹介しています。
日系コミュニティにいる時が一番安心すると言っています。
これは、完全な日本人でもアメリカ人でもない、日系アメリカ人特有のアイデンティティとも受け取れます。
アメリカに長く住んでいるため、日本語に飢えていると言っています。
また、日本の若者の言葉遣いが軽薄になっていることに危機感を抱き、
昔の小説を読むことを勧めています。
これは、アメリカに住みながらも、日本語や日本文化を大切にしたいという気持ちの表れであり、
アイデンティティの根源を失いたくないという願望とも受け取れます。
「あとですねこれは最後になりますけれども。
比較的若い皆さんにですねお願いがあります。
というのは昔の本を読んでください。明治まで遡らなくてもいいですから。あの大正・昭和のね。
小説とかを、読んでいただきたいんですね。
っていうのは、あのYouTubeなんかでも、他の日本人YouTuberの動画を見てて、もう聞くに耐えないっていうか。
あの軽薄すぎる。
はっきり言って、そういう場合が多々ありますので、昔のしっかりした本を読んでいれば、
そういう傾向も少し無くなるんじゃないかという風に考えるわけですよ。
皆さん。ぜひ日本語というものを大事にしてください。」
というメッセージで、この動画を締めくくっています。
ここまでは、私は見たYoutube動画の話でした。
実は、今年の「お盆の先祖の墓参り」は、8月12日に行くことに決めました。
お盆三が日は、家で静かな時間を過ごしたいと思って、そう決めました。
静かな時間を、どうやって過ごす?
やはり「読書」です。
私は、普段は、体を動かすことが好きで、
今年の梅雨明けからは、午前中(雨が降っていない日は)
ガレージでごそごそ、何かをやっていたり、
家や自室の整理・整頓と要るもの要らないものを仕分けして、要らないものを処分したり、
台所の調理器具・食器の洗い物、家の周りの雑草刈りなど、
ほぼ毎日、体を動かしていました。
だけど、お盆三が日は、静かに本を読みたいと思いました。
その読みたい本とは、これです。
二十四の瞳
少年少女日本文学館11
出版日: 講談社 (2009/3/20)
発売日: 2009年3月20日
昭和30年生まれで現在70歳。
映画でも公開されましたが、
「二十四の瞳」「壺井 栄」と言えば、私が小学生の頃は
誰もが知っている存在でした。
何でだか忘れましたが、映画は見た覚えがあります。
なので、「大石、小石、小石先生、おなご先生」などのセリフは
今でも覚えています。
大まかなストーリー(あらすじ)は覚えています。
しかし、本を精読したことはありません。
なので、今年のお盆は「二十四の瞳」を読もうと思っています。
いずれは、小豆島も訪れてみたいと思っています。
行こうと思えば、簡単に行けるんですが、
電車でJR土山駅〜加古川駅〜姫路駅、そこから山陽電車で南下して姫路港から船で小豆島行きに乗る。
JR土山駅〜加古川駅〜姫路駅は、フツーに学生の通学圏内ですので、
決して遠い距離ではありません。
ゆっくりとした時間が取れれば、カミさんと一緒に出かけたいものだと思っています。
ところで、壺井栄は児童文学・反戦作家として知られています。
壺井栄は、骨のある方だと思っています。
終戦の1945年、同年に公開された「石臼の歌」の初版は、GHQから焚書指定さました。
お涙頂戴の作家ではありません。
壺井栄は、強い方です。
焚書扱いされた初版の問題の部分(もろな原爆批判)を削除、柔らかな文章に差し替えて(書き直して)
ついに、小学校の教科書に載るという凄さ!
関西弁で言えば、
「おばはん、なかなかやるやんけー」的な印象を持っています。
さて、休憩時間です。
日本のメロディーで涼しさを感じてみては如何でしょうか。
佐藤和哉 - 浜辺の歌